歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む。

歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む。
 ――マーク・トウェイン

 全く同じ繰り返しではないけれど、本質や傾向に類似が見られるということでしょうか。
 少なからず改善や前進はあるけれど…。


 最近やたらと暑いな、と思っていましたがもう8月なんですね。夏じゃねーか、とようやく気付きました。毎日毎週同じ様に生活していると時間の感覚が……。何も無いから月日が飛ぶように過ぎる、平和な証かもしれませんが。
 こりゃああっという間に今年も終わりますね。

 仕事の期限や会議の予約などで日付を毎日確認している筈なのに、もはや月も季節も事務的な記号としてしか認識していないという事か。昔は花火とか海とか祭りとかわくわくしたものですが、今はもうくたびれて静かにしていたいという欲求のほうが大きいようです。


 民間の飛行機を対空ミサイルで落としたり、議員の腐敗(中世みたいですね)ぶりがあちこちで明らかになったり、まったく毎週毎週酷い事件ばかりですね。
 自身の悲観主義的な傾向のせいで、余の暗い面ばかりに目が行ってるだけなのかもしれませんけど。
 実際は世の中で起きている禍福は半々くらいで、悲観主義者は悪しき面ばかりに目を向け、楽観主義者は善き面に自然と目が向いているのかもしれませんね。
 実情が同じなら後者のほうが楽しく生きられるのは分かるのですが、染み付いた性質を変えるのは難しいです。ニュースでは悲劇ほど視聴率が取れるようですし、古来より人々の不安を煽れば商売も政治もやり易いそうですしね。
 
 ふと思ったのですが、いわゆるブラック企業と呼ばれる会社を経営する役員の方々は、ご自分のご子息ご令嬢をその会社の社員やバイトとして働かせたいと思うものなのでしょうか。ご自身の経営手腕や方針は無謬であり、常々言及される様に世間の風評が事実無根の根も葉もない噂であると確信をお持ちなら、胸を張って、誇りを持って自分の子供に自分の仕事を勧める事に躊躇いは無い筈ですよね……。

 もちろんクルスス・ホノルム的な幹部採用ではなく、一切の手心を加えることもなく、最初の階級から順を踏んで職務にあたってもらうという事で。
 おそらく年に何千万、何億と稼ぐ方が自身の子供に外食産業の一人シフトや工場勤務を勧める事はまずないでしょう。
 そのポストを数年勤め、幾つかの株主総会と会議をやり過ごし、役員報酬と退職慰労金を受け取ることが最重要戦略目標であり、その養分となって枯れ果てた従業員が何人自殺しようが、客に腐肉を喰らわせようが、塵ほどの責任も危機感も感じていないのが大勢なのでは。
 
 そういう明らかな矛盾や嘘が罷り通り、誰もが欺瞞と虚飾に満ちた建前を不承不承呑み、生きて行かざるを得ない。いつの世も変わらないことなのかもしれませんが、何とも空しく愚かしい事ですね。きっと全ては私の過剰な悲観主義による錯覚であり、実際はもっと明るく楽しい世の中なのでしょう。是非、そうあってほしいものです。


・我も彼も逃れ得ぬドグマ

 シェイクスピアのリア王には、

 生れ落ちると、われわれは泣き叫ぶ、
 阿呆ばかりのこの大舞台に引き出されたのが悲しくて。


 という台詞があります。ルバイヤートにも同様の趣旨と受け取れる詩(28番目)がありますし、キケロのトゥスクルム荘対談でも似た様な見解(第一巻48章)が示されていたように記憶しています。

 齢30を過ぎ、少なくとも雨露凌ぎ、食うには十分な仕事につくと大抵、上司や親戚などから結婚や子供を持つことについて推奨され、そうしていない場合は何故そうしないのか、と問われるものです。
 時には、おかしな奴、哀れな奴として軽侮されることすらあるでしょう。しかし一見奇妙に見える者も一定の論理によって行動の指針を導き出すものです。

 孤独が全く苦にならず、偏屈極まりない私でも生涯を共にしたいと思えるような相手がいれば、結婚という制度を何らかの理由で選ぶかもしれませんが、相手の目星もたたぬのに結婚を望むというのは制度から取り残された自分への不安や焦燥に駆られているに過ぎず、その手段、生活様式そのものをさながら流行のファッションの様に漠然と望んでいるに過ぎない様に見えてどうにも理解できません。

 皆がしているから、しなければならないと思い込み、人によってはそうしていない、あるいは出来ない事に劣等感や孤独感をすら覚えるそうです。互いにこの人だと見込んだ取り換えの利かない相手と歩む(それほど素敵な事は無いとは思いますが)事を望むというよりは、制度そのものに自身が乗る事が出来ているか否か、他者が見る自分の姿、体面、そこばかりに目がいっており、目的と手段が転倒しているのではないでしょうか。流行りの婚活なるものも胡散臭い、本質と上辺を取り違えた様なものに見えて仕方がありません。ただのビジネスであるという気もしますが。

 子供を作り、育むことについても、国家も社会一般も私を取り巻く個人的な知人達も大概は皆一様に善きこと、素晴らしきこと、疑問の余地なき事の様に語りますが、そこまでの全面的な肯定には至れないというのが正直な所感です。

 この現世に瑞々しい叡智、素晴らしい出来事、慈愛、善き人々との出会い、美しいものが溢れているのは疑うべくもないことですが、仏教の四苦八苦を牽くまでもなく、同等かそれ以上に醜悪で愚かしく、残酷で無益な苦行が溢れているのもまた間違いありません。だいたい平日が5日で休日が2日の時点でフェアではありません、せめて半々です(そんな卑近な例か…休日出勤や出張、接待などが入ったら目もあてられません)。私が創造主なら天地創造4日目くらいから休みます。昼からビールです。旧約聖書の記述で4日目に止めると、この世には植物だけになってしまいますけど。

 先述の台詞の様に、そんな場所に新たな人間を召喚する事が果たして善き事なのか。飲み屋で何の気なしに、無邪気に“結婚しないのか?”“子供は欲しくないのか?”と私に尋ねる人を見る度にある種の疑念が湧き起ります。こうした人達は自分のしている事に一抹の疑問も持たぬのだろうか、と。
 しかし彼らの口振りを見るにそんな考えは露ほども見えず、そうした考えすら頭に上った事も無いように見えます。あたかも一種の信仰の様に信徒が教義に対し微塵の疑念も持たぬのと同じ様に。聖典は無謬であると。

 もしかしたら皆そうした自問を経て何か確たる理由や根拠を既に得て、揺るがぬ信念を獲得したのかもしれませんが。あまりそういう風にも見えません。ただ何となく、皆がそうしているから、その様に過ごしている風に見えます。それが社会的かつ模範的な大人の嗜みというものなのかもしれませんが。

 そういう様を見ていると

 我々は、他の人たちと同じようになろうとして、
 自分自身の4分の3を喪失してしまう。

 
 というショーペンハウアーの言葉を思い出します。

 ある人は社会の維持には子供がなくてはならぬ、と言いますが、経済・生産の維持拡大や年金や保険の類の社会保障制度、納税や債務履行の為に人間の数を維持し、増やすというのは極めて全体主義的な試みではないでしょうか。
 可愛いから、仕事や人生の励みになるから、という意見も一種の愛玩動物を扱うかのように聞こえますし、孤独を埋める為、己の老後を支える為、親に孫を見せる為、家の存続の為、あるいは人生に幾許かの華を添える為にというのも、何やら身勝手な話の様に思えます。

 人間とは何であるか、などさっぱり分かりませんが、少なくとも集金マシンや介護ロボではなく、勲章や景品や装飾品でもなく、何かを取り次ぐための接続部品(生物学的には遺伝子を保ち、複製し、増やす乗り物・容器に過ぎないかもしれませんが)でもない筈です。そして時折報道される様な、自身の子供の成長や将来を一顧だにしない妙な名前をつける一方で、思うままにならぬと見るや虐待したり遺棄する様な人々はまさに利己主義と思考の欠如の極致なのではないでしょうか。

 連綿と受け継がれてきた遺伝子を伝え、本能に従い生命の義務を果たす、という様なある種の使命を語る人もいますが、それが他と比べて何か格別に尊い価値のある事なのだろうかとはっきりした理由を見出すことが出来ません。
 遺伝的近縁度から言えば一個人が遺伝子を残さずとも彼または彼女の兄弟姉妹か親戚の誰かが子供を残せば、そう大差のない結果が残るでしょう。それとて数世代を経れば跡形もないほどにシャッフルされ(子の代で1/2、孫は1/4という風に…)、限りなく薄まり、いずれは膨大な遺伝子の組み合わせの大海に溶け込む筈です。
 
 原初の無機物から有機物へ、やがては複雑な機構を獲得し、淘汰され多岐に渡り進化した生命の存在やその歴史には壮大なものを感じますが、誰も彼もがその系譜に従わなければならないという道理も無いでしょう。
 今のところ、どうしても何か自分の生きた記録や情報を残さなければならないなら、絵を描いたり、文章を書いたりしている方が性に合うように思います。

 ならば、どの様な理由ならば満足なのだ、と問われるとさっぱり分かりません。それが良く分からないので身の回りの人の問いが理解できないのでしょう。私は偉大なるショーペンハウアー先生の様な反出生主義者ではありませんが、しかし問われれば常に疑問がついて離れません。単純に脳の神経構造や分泌物の加減に支障があり、私が生物として根本的な欠陥を抱えているのか、はたまた普通は幼少期や学生の段階でとうに答えを導き出しているべき問題に対し、私の脳みその出来が悪すぎていつまでもつまらぬ所で立ち止まっているに過ぎぬのか。

 それを欲する人はすれば良いし、どうでもいいと思う人は公序良俗や公共の福祉に差し障りのない範囲で適当にやれば良いと思うのですが、何故誰も彼もが同じ方向を向き、同じように生きなければならないのか、それを前提に語り、そして教条的に問うのか、それがいつも不思議です。

 無論、私を完全に扶養し、惜しみなく愛を注ぎ、もったいないほどの教育(残念ながらその効果は薄かったようですが)を施してくれた両親には感謝していますし、そもそも理由などいるのだろうか、と言われればそれまでですが、私は既に大分懐疑的・厭世的な考えに取りつかれており、何をするにも立ち止まって考え、自身が納得できなければ行動する意思が湧かぬようになってしまったようです。

 単純にものぐさで、指一本動かすのすら面倒臭くなっているだけかもしれませんが。
 たまには自身と人生について考えてみるかと思いましたが、結局良く分かりません。
 きっと、あと10年くらいすれば年齢的に周りの人々も諦めるでしょう。それまではタレス先生メソッドで言い逃れする事にします。嗚呼、時の経過ほど偉大にして残忍なるものがあろうか、その強力無比なることよ。


 ・批評と鑑賞
 
 一個人が生涯のうちに把握できる情報には当然の如く限度があります。私の様な揮発脳の持ち主なら、なおのことです。世界に存在する全ての書物を読むことは出来ないし、森羅万象を知ることは出来ません。自分の中指の爪の色が不健康であるとか、地球の裏側の森の茂みにある一片の葉に流れる露に毒々しい色の蛙が映っているか否かを知ることができるのは、その場に居合わせた者だけです。

 故に普通の人間はしばしば他者の評判や評価、メディアを参考にして、ものの価値を判断し、取捨選択します。全てを自分の目で確認し、試して、良し悪しを判断するのは不可能で、きりがないからです。映画や小説のような娯楽においては特に他人のレビューや評論家、文化人の評価が人々の印象や興行成績を左右するのではないかと思います。

 で、私は永遠の0という映画を見ずに、人々の評価や著名人の批評をもとに、いわゆる国粋主義、歴史修正主義の系譜にある過去の美化に連なる映画だと思っていたのです。それなら見る必要はないかな、と。とはいえレンタルなら気軽に見られるので見てみたのです。

 依然として原作を読んでいないので基がどういう内容なのか知りませんが、少なくとも映画についてはそうした評は適切ではないと思います。ネットに流布された宮崎監督の批判はおそらく前評判と印象からなされたもので、実際本編を見てはいないと思います。

 登場する航空機や空母赤城などの描写を見て興奮するのは、それが紀元前2,000年前だろうが近未来だろうがその能力を発揮する戦士や機器や兵器に惹かれてしまうという私個人の逃れ難き宿痾なので、今更否定するつもりもありません。CGの頑張りがなかなか……。

 が、本作は殊更に戦闘や戦争を美しく描いているというわけでもないように見えます。戦前を懐古したり、称揚しているわけでもありません。カタログ上の航続距離の様な性能諸元のみを参考に搭乗員の疲労を無視し、無謀な作戦を強いる場面や、戦争後半に至り、相対的に性能の劣る零戦の実態について言及する描写などは、旧軍の欠陥を指摘し、零戦の伝説を淡々と否定しています。いかにも映画的な登場人物の設定や過剰な演技や感情の発露はアレですが、映画は映画なので諦めましょう。

 特攻の美化といった評については主人公の行動指針や目的を見るに少し違うのではないかと。特攻志願票について描かれるあたりなど、現代社会にも脈々と受け継がれる同調圧力のいとも麗しき慣習を象徴するようで何とも胃が痛くなります。直掩の隊員も援護対象である特攻機の成功率の低さからさ無駄死にと嘆き、全編通して突入に成功する描写すら無かったように思います。ほとんどは近接信管やレーダー、航空・火器管制の効果により打ち落とされています。
  
 映画で語られる限り、少なくとも主人公は社会や共同体、国家への奉仕を至上とする国家主義や全体主義へ殉じたわけではありません。私の見た限りではもっと狭い範囲の話であり、自身の命、家族と彼の仲間、それと教え子達の生死といった極身近な人々の禍福を垣間見た結果、葛藤の末に主人公は結末に至る選択肢を選んでいるように見えます。これは過去の戦争や国家体制を美化したり再評価する映画ではなく、個人の物語という風に私は見ました。

 ただ、自身の生還と僚機の無事帰還の為に、空戦に消極的という説明がありますが、それだと他の仲間は余計な戦力差が生じる分、不利になって落とされるのでは……。そこら辺も悩んでいたのかもしれませんけど。少し気になりました。仲間が落とされると自身の生還率も下がりますよね。 
 
 こんな風に書いておきながら、いまだタイトルの意味が分からないのですが、原作だと解説されてるんですかね。
 帰ってきたヒトラーが面白すぎて、しばらく別の本ばかり読んでるでしょうけど。序盤の表面的な皮肉と風刺だけでなく、痛烈なまでの示唆に富んだ本です。我ながら肉ばっかり食ってないで野菜も食えよとは思いますが。ドイツの戦前戦後を挟んだ歴史認識へのとてつもなく重い問いかけ(戦争責任の所在や転嫁について)は、そっくりそのまま日本人の過去と現在への問いに繋がっている様に思います。
 お勧めです。あれ、永遠の0の話じゃなかったの…。いや結構面白かったですよ、映画は。原作は知らない。
  
 もっとも、この手の題材を扱った作品をもとに、地域振興の為に安っぽい土産を売りつけるような商売をしたり、便乗して政治的な働きかけをしたり、過去を著しく美化する様な行動はどうかと思います。映画としては言われているほど悪くありませんでした。結局自分で確かめないと、自分にとって何が良く見えるかを判断するのは難しいのでしょう。
 当たり前のことでしょうけれど。見ないで評価し、喰わずに嫌うというのも大いに問題ありと再認識しました。他人の目と耳に頼りすぎてもまた大きな陥穽に落ちると。


・飯の時間だ!

 クソッタレ共のくっだらねえ話はやめて飯を食おうぜ。
 ローマ軍の物語Ⅷ 下書き

 ローマ軍団、飯を食う。
 何だか、ちまちま描いていたら時間がかかりました。
 7ヶ月も屈強な男達ばかり描いていると流石にそろそろ女性を描きたくなります。
 ガルガンティアのサーヤとか、艦これの高雄とか……だからその分かり易い傾向は止せと。はい。 
 
 艦これは駆逐艦で進む海域で止まってます。

 今回はこの辺で。続きが描けたらまたお会いしましょう。
 ローマ市民ならびに元老院議員、そして軍団兵諸君にマルスとユピテルの助力あれ。
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軍団兵履歴

Legionarius

Author:Legionarius
主に世界史・戦史(東西問わず)の絵を描いております。

形式:Legionarius
状態:製造年月日から30年以上経過
使用燃料:Laphroaig,Bowmore,
Ballantine(12年が好ましいが財布が薄いのでfinest)
エンジン形式:惰性型酒冷4ストロークバルブ108気筒
始動形式:諦念あるいは深い溜息
搭乗機:CBR600RR07白→CBR1000RR2012に機種転換(乗り手に過ぎる良い機体ですがハイオクは財政が……)

音楽:(Bill Evans, Miles Davis, Dvořák, Linkin Park, Rammstein, Killswitch Engage, Enigma外)気に入れば何でも。

書物:ノンフィクション、歴史(ローマ史、古代ギリシャ,WW2外)、SF(ホーガン、ハインライン外)、最近はOsprey社の本ばかり。主にマクブライド先生のやつばかり。

漫画:(大陸軍は世界最強とかアララララーイとか)雑食。

ゲーム:ROME TOTAL WAR、MEDIEVAL TOTAL WAR
     CALL OF DUTY、S.T.A.L.K.E.R、SILENT HUNTER外

好きな陛下:Marcus Aurelius Antoninus、Flavius Claudius Julianus
好きな甲冑:ロリカ・セグメンタータ
好きなヴァンツァー:フロスト
好きなマクナブ:受領通知!!、カチカチ、カチカチ、続刊はいつですか。
以下、好きなギボン、サトクリフ、パウルカレル、スティーブンハンター、フォーサイス、ルカレ、エルロイなどと八万行に渡って続くので割愛。

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