戦争がかくも悲惨であるのは望ましいといえる。

戦争がかくも悲惨であるのは望ましいといえる。
さもなくば我々は戦争に夢中になってしまうだろう。
――ロバート・E・リー

It is well that war is so terrible - otherwise we would grow too fond of it.

己の手足がぶっ飛んだり、家族や友達が死んだりしなければ、戦争の熱狂や緊張感はある種の悦楽をもたらすでしょう。
スポーツの試合や対決の熱狂に人々が興じるように。技術や労力、人々の全身全霊が投じられているのですから。あるいは幼少の頃の鬼ごっこやどろけいを思えば。人々がゲームや映画の戦争・闘争に夢中になるという事が、まさにこの言葉が真である事を証明してますね。

ホモ・サピエンスは、いや動物は概ね戦って生き残る様に設計されている(そう思わぬもの、出来ぬものは淘汰され既に世を去っている。勿論共生関係というのもあるけれど)のだから意識下、無意識下に闘争心を味わい、勝利を求めるのは先天的・機械的仕様であって避け得ぬ事なのでしょう。だから重傷や後遺症を抱えて生きる事になるとか、拷問を喰らうとか、屈辱を味わう様な事がなければ、それはときに甘美なものとして捉えられるのでしょう。


週末に限って雨が降ったり、台風が来たりで、我が愛馬紅号(仮)で二輪乗りの輩と放浪して美味い物食って酒飲んで温泉に入る計画(欲塗れ)があったのですが上手く行かぬ。エンリル神よ!どうか静まり給え!!今週は天気よかったのでちょろっと出かけました。


政治もメディアも国民の程度を映す鏡なのでしょうから、両者の質は同一の水準にならざるを得ず、つまりはそういう事なんでしょう。説明を省くのは説明しても理解できぬと侮っているからなのではないかと。野党の稚拙な対抗手段や子供じみた演出も国民を侮っているからでしょう。子供騙しの様な手段や論法が散見されたり、視聴者を馬鹿にした様な(馬鹿に語りかける様な)内容の報道が繰り返されるのは、それだけ侮られているのであり、侮られるだけの理由もまたあるという事なのでは。

投票率もこの有様ですし。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

やがて尻に火がつき、その時にはもはや為す術がない事に気づき、再び惨禍を味わい(戦禍よりは財政・経済的危機の方が蓋然性が高そうですが)、のた打ち回って再び這い上がり、幾許かの安寧を貪り、そしてまた数十年を経て喉下過ぎて熱さを忘れるのでしょう。

歴史と経験の継承と共有の限界がそうさせるのか。飽きもせずに延々と繰り返すのは個体の寿命と教育・学習に要する所要時間と労働に投入される時間を除いた余剰時間を思えば避け難い必然とも言えるか。つまり、週の半ばであれ、平日であれ酒が飲みたくなる類の私は神祇官が如く様式に倣った行動を繰り返すという点において極めて人間的であり、ある意味で世の大勢に適った人間なのです。

まったくもって縁無き衆生は度し難し。付き合いきれぬ。この騒々しい穢土に適応できぬ私は偉大にして不変の法則に従いて、淘汰の必然の末に消えていくのでしょう。重畳至極、あるいはロムルスの様に豪雨の最中に忽然と消えるもまた良し。


・いつまでも余所の国の後進性を笑っていられるのなら良いけれど

基本的にスポーツはスキーとか水泳とか自分がやってくたくたになる方が好きであり、テレビの前に座ってじっと見ているとか観戦する楽しみが今一つよく分からんというのもあるのですが、オリンピックの国内開催は正直な所感として、やる価値があるのか疑問です。予算とか使途を思うとパーキンソンの法則とか凡俗法則が頭を過る。

JOCの理念

JOCの使命は、全ての人々にスポーツへの参加を促し、健全な肉体と精神を持つスポーツマンを育て、オリンピック運動を力強く推進することにある。オリンピックを通じて、人類が共に栄え、文化を高め、世界平和の火を永遠に灯し続けることこそ、JOCの理想である。

JOCの目的

オリンピック憲章に基づく国内オリンピック委員会(NOC)として、オリンピックの理念に則り、オリンピック・ムーブメントを推進し、スポーツを通じて世界平和の維持と国際友好親善に貢献するとともに我が国のスポーツ選手の育成・強化を図り、もってスポーツ振興に寄与する。


となっておりますが。プログラム規定みたいなものでしょうかね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E8%AA%AC
スポーツを通じて国際協調を計るとか、スポーツを広めるという運動理念は大変結構で素晴らしいと思いますけど。
片やニュースや政治指導者の言を聞けば、もはやそんな建前を飾る事すら脇に置かれて、経済効果がどうとか子どもですら商業目当てである事に気づくくらいあからさまなのですから何とも……。
で、経済・商業的効果をアピールしている割に金銭感覚が欠如しているというこの矛盾。

別に金を儲けるのが悪いとは思いませんけど、端っからそういう特殊なイベントに当て込んで需要やらを期待するのはどうなんでしょう。何だか不利な情勢で好機の一発逆転に賭けるとか、とにかく目前に分かり易い“灯火”が必要であるとか、残念な状況である事を吐露している様に思えるのですが。つまり平常時の体制ではじり貧ですよ、と。

見栄やら虚栄心やら、実績作りやら、既得権者のリベートやらキックバック狙いやら知りませんが、既定事項だからその結果どうなろうとやれって事でしょうか。どこぞの戦争指導部みたいですな。

今回はあの高価な競技場案は白紙に戻ったようですが、ニュースに登場した関係者のコメントは耳を疑う様なものでした。
曰く事ここにいたり、コストの全体像が明らかになったので見直すべきと判断した、とか。それってつまり計画始動の段階ではどれくらい金がかかるか考えていなかったという事ですよね……。批判が噴出して初めて焦り始め、まじめに算出したらこれはやべえな、と。本当にそういう経過を辿ったのかは知りませんが、もしそうなら背筋の寒くなる話ですな。何百億、何千億、何兆もの予算を左右する人々が大して脳みそを使っちゃいなかったの?という。

競技場や五輪に限らず何百億、何千億もする施設をぼこすか建て、制度や行事を計画し、その瞬間は良いでしょうけど維持費やその後の運用は採算が取れるのか。後先考えないとか、薬物中毒やアルコール依存症めいている様な。巨大建築物や一過性の行事に資金を大量投入して金を市場に流し込み、消費の連鎖に繋げる乗数効果に期待しているのでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E4%BA%8B%E6%A5%AD#.E4.B9.97.E6.95.B0.E5.8A.B9.E6.9E.9C
経済学などはさっぱり分かりませんけど、用途や需要の怪しい箱を各地にドンドコ建てて無駄遣いだなんだと前世紀から散々批判されてませんでしたっけ。唸るほど金があるなら良いですけどそういう状況なのかなと。仮に開催と支出の是非を全国民に問うたら、どういう割合になるか興味深いですね。

成功したら誰それが推進したとか称揚されるのでしょうが、失敗したり赤字を垂れ流す様になっても責任はうやむやで、強力に推進した者達も任期が終わったら意気揚々と退任報酬を貰って姿を消すのでしょう。とはいえ仮に責任者が責任を取るなどと口にしたところで、その者を一族郎等処刑しようがどんな無惨な拷問を喰らわそうが何千億もの金は戻ってこないし、原状回復は到底望めないのだから、この場合は責任などという言葉は実体の無い概念に過ぎず、この規模の計画が開始された瞬間から有名無実となるのでしょう。という風に何でもネガティブに考えてしまうので私はあまり気乗りしませんな。

例の競技場を建てる資金の0.1%でも非課税で私にくれるのなら熱烈に支持してやっても良いですけどね。もちろんスタジアムはフラウィウス円形闘技場の様式で最高に荘重な趣で、その横にキルクス・マクシムスを併設して下さい。やりたいと盛んに言っている人だけで身銭を切って勝手にやれよと言われたら、果たして同じ声の大きさとやる気を示してくれるでしょうか。
自分の金では無いと思っているから扱いがいい加減、つまりはそういう事なのでは?
そうやって積み上がった負債をいずれ埋める事になるのは果たして誰なのでしょうな。 

そういや古代ローマでは有力者が自腹で競技会を開催して人気取りをしてましたっけ。剣闘士を呼んだり、曲芸師を呼んだり。元手が散々市民や奴隷から搾取して貯めた金だったり、国庫からの支出だったりすれば結局巡り巡って払っているのは民草ってことなんでしょうけど。負担の所在や将来の結果について考慮せず、浮かれて無邪気に喜ぶ人もいると思えば、人間の脳みその程度は数千年程度ではそう変わらんのかなと思わんでもないです。もしハードウェアが大差ないのなら、過去の蓄積から学ばぬ者、ソフトウェアのアップデートすら図らぬ者には何らの前進も見当たらないという事になるのでは。

と言う様なことを給与明細の税金を見ながらふと思いました。ちゃんと使ってくれるなら、払うに吝かではないのですけどね。
ウァルスよ!我が税金を返せ!
あと無駄遣いする薄汚い盗人野郎は競技場で生きたまま熊に喰わせてからティベリス河に捨てよう(ゴミのポイ捨てダメ絶対!)、
入場無料でパンと肉と葡萄酒を配ればスポーツの祭典より盛り上がるに違いない!(古き善き伝統を重んじるローマ人的提案)


・金と生と死

新幹線で面倒を起こした人は年金が足りないとかこぼしていたそうですが。
2ヶ月で24万、1月で12万、色々差っ引いた手取りはどれくらいになるのでしょうね。
金の問題だけではないのでしょうけど、事に至るまでにどういう人生を送って、どういう金の稼ぎ方、使い方をしてきたかが興味深いです。

仕事が見つからず、あっても貯金できるほどの余裕も無い生活をずっと続けていたのか、あるいはそれなりに稼いでいたけれど、ろくに貯めもせず浪費したのか。酒や賭け事や煙草の類はやっていたのか。趣味や娯楽はどういう類のものに重きを置いていたのか。収入に準じた生活水準を選択していたのか、それともそうではなかったのか。人生の何を重んじていたか、どういう哲学の主であったか。

と思ったら酒とパチンコやってたんすね……そりゃ足らんでしょうな。消費は何の思索も技量も研鑽も要さず瞬間的に快楽をもたらしてくれる。金を払えば人があれこれしてくれて、サービスなり娯楽なりを提供してくれる。
何ともお手軽で素晴らしい事ではありますが。

博打はやらぬが酒と葉巻はやるので、そうしたものに現を抜かす気持ちは分からぬでもない。
しかしながら誇り高き自由飲酒主義者は自分の金で飲むのであり、あるいは友から贈られた酒に酔うのであり、分相応の支出を自身で管制し、欲望を支配しなければならぬのである。

然るにおもしろおかしく快楽を貪る自由飲酒主義者と言えど、その自由は唯一点において抑制されなければならない。
即ち、他者の自由と快楽を害してはならぬという一点において。大騒ぎをして隣の席の顰蹙を買うとか、呑む事を強要するとか、新幹線を止めてご迷惑をおかけするとかいった恥ずべき振る舞いは現今の自由飲酒主義体制下においては厳に慎むべき事なのである。

何の話でしたっけ。

今は働かないとならんので渋々この混雑した騒々しい都市に住んでおりますが……便利ですけどね。
自分なら年金が貰える時点で金のかかる23区の暮らしなど早々に打ち捨てて都内のもっと安い所に住むか、もっと地方の安くて面白そうな場所に住むと思いますが、年をとるとそういう発想にはならないものなのですかね。娯楽もネットとか妄想とか散歩とかお絵描きとか図書館ならそこまで金もかからないし、時間は幾らでも潰せるだろうし。

現段階でこんな事では、より制度が厳しくなるであろう現時点で20-30代の層が老人になる頃にはどんなことになっているやら。高度な医療、補助金、年金、そういう制度も金が無ければどうにもならない訳で、いずれ無い袖は振れぬという事になるのでは。

景気が回復するとか、子供が増えて尻すぼみの構造自体が変わるとか(いや、現時点の出生数から数十年先の未来の年齢分布は既に明らかでしょうが)、何か革命的な解決でもない限り、今より支給開始年齢は後ろ倒しされて、その額も減るのだろうから事は深刻になるのでは。制度や組織や国家にあまり期待できない上に、そもそも予算からして無い袖は振れないでしょうから、嘆いた所で無意味でしょう。空っぽの金庫の扉を喚き叫び涙ながらに叩いた所で、中に突如として黄金が満ち溢れるわけでもなし。
思う様にならんからと、おもちゃ屋の前で泣き叫ぶのは乳幼児なら許されるでしょうけど。これからは不足や渇望をどう処理するか、はより一層当人の資質や知識や工夫に委ねられる事になるのかな、と。

しかし歳入や債務の処理だとか年金だとか介護だとかの為に子供の数が足らんとか何だとか言うのは、人間の存在価値を財源や労働力としての側面からばかり見ているという事になりませんかね。実際に“資源”なのは間違いないんでしょうけど。シミュレーションゲームをしている時に都市人口の増減を見ている様な気分ですかね。ほう……この人口なら十分な歳入が見込めそうだな……ムハハみたいな。景気やら何やら調子のいい時は神からの授かりものだとか、宝物だとか天使だとか砂糖をぶっかけた様な言葉で飾り立て、いよいよ追い込まれると戦時のスローガンの様にあからさまになるのだから、何とも。

年をとっても、こういう傍迷惑な人間にはならない様にしたいものだし、脳がいよいよ駄目になって分別がつかなくなる前には、静かにかつ速やかにくたばりたいものだなとつくづく思いました。なりたいものだな、とか……そんな都合の良い願望を持っていたところでヘミングウェイみたいに銃で頭を吹っ飛ばしたりしない限りは自由に決められるものではないのでしょうけれど。

生とは何と厄介で面倒である事か、それに比べて死の何と揺るぎなく明白で頼りがいのある事よ!
半ば盲目的に、そして無邪気に生誕を寿ぐのなら、あらゆる問題に完全無欠にして撤回不能の決着を与え給う死滅もまた等しく尊ばれるべきであろう。

金と言えばギリシャの債務は対外債務であり、日本のそれは国内における債務だから性質が大きく異なる、という所までは分かるのです。しかし、余裕をもって余所様を笑っていられるのだろうかと思わぬでもない。
結局税金を納める事で償還しなければならないのだから、現在の世代と生まれて来る世代が払う事になるのでは。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E7%B4%84
民法の講義の最初あたりで、契約は両当事者の意思表示と合意によって成立する、と習った様に記憶しておりますが。
生れ落ちる前から合意も無く莫大な債務が確定しているとは何とも恐ろしく傑作な話ですな。その分の社会制度の遺産やインフラの贈与を前世代から受けるのだから、甘受せねばならぬと言われればその通りなのでしょうが。果たしてそれが正当な目的に支出され、そして残されるものが対価に見合うものである事を願って止みません。

穢土は右も左も寒々しいものだなあと思いつつも、美味いものを食って酒が飲めるのだから、まだ上等ではあるのでしょう。
いつまでもそうしていられれば、なお良いですけど。


・アニメやらなんやら

脳が疲弊していると簡単な話の筋も理解できなくなる。あと記憶が持続しない。
見る本数が多すぎるので少し減らさないといかんですな。
社会風刺とか世の在り様の裏返しの様な作品が結構あるという傾向が興味深いです。
いつもそんなもんでしたっけ。

アルスラーン戦記

引き続き見てます。

のんのんびより

この昏き世に辛うじて我を繋ぎとめしもの、其はのんのんびよりと言ふ也。
しかしウォッカとかウィスキーを大量投与しながら、こういうのを視聴する己の姿を客観的に見ると世も末感が
凄いですね。頽廃と屈折ここに極まれり。サイバーというかディストピアというか……その発想が既に古いか。

がっこうぐらし

そういう内容だったのね……。

乱歩奇譚

狂人がばんばん登場するけれど、主人公が一番おかしいのではないかという。
結果として自傷癖のある先生が相対的にまともに見えるのが良く出来てますね。
正常と狂気など便宜上の分類に過ぎず、サンプルの多寡や分布、総数に占める割合の違いに過ぎないのかもしれませんけど。

ニンジャスレイヤー

奥ゆかしい。
相変わらず飲みながら見ていると吹き出しそうになる。

うしおととら

懐かしい……からくりサーカスなどもやってくれまいか。

GATE

異世界に行って活躍、一目置かれる、という様式がえらい流行っているのですね。
世相が如実に現れている気がせんでもない。
そんなに現実世界が嫌か……お気持ちは分からんでもない、ええ。
などと知った風な分析をしてみたものの、そもそも異世界設定の有無以前に総じて二次元という異世界への傾倒という段階を踏んでいるのだから、今に始まったことではないか、などという身もふたも無い結論に……。

自分が異世界(技術水準や倫理が後進的な世界)に単独で行ったら……まず視力が弱いので眼鏡かコンタクトが安定供給されていないと行動不能、言葉が通じないので意思疎通不能、非衛生的環境により病に……そして死亡。と特に何を為すでもなく死にそうですな。いいとこ奴隷で扱き使われる様なものか。

VRHMDの完成及び洗練が待たれるところです。
http://www.forest.impress.co.jp/docs/serial/oculusclub/20150623_708223.html
http://www.4gamer.net/games/251/G025118/20150616032/
ますます社会不適合が捗りそうだなぁ。こういうので精密に復元されたローマとかコンスタンティノポリスを歩いてみたいです。
闘技場の観覧席から競技を眺めたり。
足腰が立たなくなってもこういうのでフラフラ散歩したり、探検したり出来るかもしれないってのは結構良い事なのでは。
で、幻想に包まれたまま事切れると。悪くない。

監獄学園


こういうのも良いですね。
疲れた脳への癒し。

下ネタという概念が存在しない退屈な世界


実に皮肉が利いてますね。健全とは一体何なのか。
いわゆる健全さなるものは強調すればするほどに物事が不自然に歪んでいく様に思うのですが、何が自然で何が不自然か、この辺の按配は結局趣味の問題ですかね。

この地上にある生物がどういうプロセスで発生し、どう繁殖しているかを思えば健全だとか不健全だとかごちゃごちゃ並べ立てる事は何とも滑稽で無意味に思えるのです。ならば、いっそのこと全部クローンにでもすれば良いのではないか。少子化も解決するし。
いやむしろ絶滅すれば不健全も不埒も発生しようが無い!(いつもの平和主義思想への回帰)

表現を規制するとかネットを規制するとか、どれもただ覆い隠すだけでは解決には至らないでしょうし、温室育ちの思考停止人間が増えるだけで、より根深い問題に繋がるのでは。無菌室ですくすく育ったら、判断力の欠如した人だらけになる様な。
なぁにかえって免疫力がつく、みたいな極端なのもどうかとは思いますが。


・お絵かき

ローマ軍の物語XⅥ 補足
ローマ軍の物語XⅥ


以下pixivより

ローマ軍の物語XⅥ “ハデスの報酬”

激突する金属と引き裂かれる肉、血飛沫、怒号と悲鳴、随所で湧き起こる喚声に人馬の息遣い、ローマの祭りでも見た事の無い騒乱の一時は終わった。我に返るまで勝敗などさっぱり意識に上らず、目の前の敵を押し返し、殺し尽くす事で頭が一杯だった。

衝突はそう長くはなかった筈だが、その最中は永遠に続く様に思えたし、終わった時には完全に消耗していた。生涯で最も集中していたというのに、戦闘を最初から順序立てて思い出すのは難しかった。順番に思い出せるのは俺の前、最前列で戦っていた仲間の右肩に槍が突き刺さり、そいつが苦悶の表情を浮かべ後ろへ下がった所までだ。

そして隊列のどこに誰がいるか完全に把握している俺達の神、百人隊長ケリアリスが振り返りもせずに叫んだ。“クァルトゥス!お前の出番だ、クソ共を先祖の下に送ってやれ!”
言われるまでもなく分かっていた。俺は列を詰めなければならなかった。ぐずぐずしていればダキア人に殺される前に隊長に臆病な肝を抉り出される。使わない肝なんざ捨てちまえ、と。隊長は命を“使わない”奴には実に厳しい。

戦列の穴を放置すれば隊の死はそこから忍び寄る、ケリアリスがいつもそう言う様に、ダキア人は勢いづき飛び込んできた。まさにそこを埋めるのが俺の仕事だった。恐怖のあまり一歩前進を拒もうとする足を無理やり引き摺り、悪態を吐いて前に進むと突然視界が開け、血濡れた鎌や凄まじい形相のダキア人と俺を隔てるものはなくなった。

俺の左にいた隊長は最初から最後まで最前列を離れず、熟練の肉屋か魚屋の様に手際よく敵を始末しながら、隊を指揮し、俺達に助言し、そして激励するという神業を披露していた。マルクスが巨体に任せて盾で殴りつけたダキア人が宙高く舞った事、アウルスとサルウィウスの手練れ2人が双子の様に息を合わせて最右列で戦っていた事、迂闊にも剣を深く突き刺し過ぎて動けなくなった俺をクイントゥスが助けてくれた事など断片的な光景は覚えていたが、どれも記憶は曖昧だった。まるで飲み過ぎて酔払い、どうやって兵舎に帰ったか覚えていないのに翌日きちんと自分の寝床で目を覚ました時の様な気分だ。とはいえ俺達が悠長に戦場に突っ立っていたという事実、辺りに散らばる敵味方の死人の数を見れば、どちらが勝ったかは考えるまでもなかった。

遠くから補助軍騎兵の角笛が物寂しげに響き渡り、その余韻が無慈悲な追撃続行を告げていた。奴らの復讐と狩りが始まったのだ。傍らのクイントゥスは奇跡的に無傷だったが、頭をやられたのか”クソすげえな”と呟いたきり、呆然と立ち尽くしていた。可哀想に打ち所が悪かったのだろう。もっとも俺も頭がぼんやりして、戦いが終わって大分経ってから再び足が竦んでいた。それに両腕に異様な感触が残っていた。盾のボス(突起)で敵を殴打し、鼻や頬骨を砕く瞬間の衝撃、柔らかい腹を突き刺すぬるりとした感触、喉に刃をめり込ませて筋繊維と気管を切り裂く感触。そして肝臓や腸からボタボタと溢れる金臭い血やクソの匂いが鼻にこびり付いていた。

そういう事は英雄の叙事詩には書いていないし、将軍達の残した戦記にも載っていない。想像してはいたが気分爽快とは言えず、俺はあまり良い兵士ではない事が分かった。祖父は昔話を好んだが、戦争の話をせがむ俺に事細かに語る事を躊躇う事もあった。今ならその理由が良く分かる。栄光と無惨が現実において各々どれほどの比率を占めるか、それがどういうものか多少は知ったのだから。

やがて戦いの血の滾りと昂揚感は醒め、勝利の晴れやかな気持ちも安堵も去り、疲労だけが俺に残された。
左腕は盾の上げ下げで疲弊しきっていたし、騒音と絶叫、喚声に包まれて耳が聞こえづらかった。右腿の外側を槍の穂先が掠って小さな切り傷が出来ていたが幸運にもそれ以外に大きな怪我はなかった。綺麗に洗って軍医に縫ってもらい、塗薬と当て布、包帯を巻けば歩ける程度の浅い傷だ。百人隊は他班で重傷を負った2名を除き、戦闘後の点呼では全員が応答していた。隊長の鬼の様な訓練は無駄ではなかったようだ。

比較的軽傷だった俺とクイントゥスは戦の後始末を命じられ、もう少し派手な見た目の怪我をしておくべきだったと互いに縁起でもない愚痴を零しながら軍医助手と一緒に死体の間を巡っていた。敵の死に損ないに”慈悲”をくれてやったり、死体の山に埋もれた同僚を生きているにせよ、死んでいるにせよ、引っ張り出す為だ。敵の死体は引き取り手のいる貴人なら別だが、雑兵は売り物にもならない。
血を流し、腸を溢して動けない様な重傷の奴も同様に早晩鳥獣の餌だ。

最悪なのは投石機の直撃を喰らった気の毒な奴や蹄で頭を割られた奴だ。生きたまま熊に喰われる罪人の様に、
悲惨な死体は闘技場でも見られるし、ローマの街にも転がっていたが、戦場で間近に見るそれは匂いも見た目も強烈なものがある。それもいずれは気にならなくなり、ただの物としか思わなくなるものだが。

“片付け”には役得もある。”救出”と”収容”を概ね終えた俺はきらきら輝くものを見つけた。立派な甲冑をつけた敵の死体だ。死んだら皆等しく物言わぬ抜け殻の様になるが、かつては貴族か何かだったのだろう。背中に一つも傷が無い所を見るに敗走中ではなく勇敢に戦って死んだ様だ。

俺はそいつの身なりをじっくり観察してから節くれだった指に目をつけた。金の指輪が沈みゆく夕日を受け、ローマでは見られない繊細な模様が眩い光を放っていた。“土産”は高価で運び易い物にしろと祖父は言っていた。俺は指輪を一つ失敬したが二つ目は関節にひっかかり、上手く抜けなかった。皆がする様に指ごと切り落とそうかと思ったが、結局プギオを当てた所でやめた。

先ほどまでしていた事を思えば、今更死人の指を切り落とす事など造作も無かったが何故かそうする気になれなかった。戦いの熱狂と昂奮から冷めてしまったせいかもしれない。略奪は正当な権利だが、躍起になって死人の指を切り落とす自分の姿や、どこかの戦場で死んで誰かに身包みを剥がれる自分の姿が脳裏に浮かび、どうにも続ける気分にはなれなかった。彼のもはや何ものをも捉えぬその虚ろな瞳が“俺は明日のお前だ”と語りかけている様にも思えた。

それに金の指輪は俺が嵌めても嫌味な成金趣味にしか見えない。土産でもいいがアスパシアは派手な装飾品を喜ぶ柄じゃない。彼女の辛辣な言を引用するなら“内容が乏しい者ほど派手に着飾る”らしい。彼女は相手を気遣って喜ぶかもしれないが、義理立てて演技をする姿を見たいとは思わなかった。

結局、名も知らぬダキア人は後からやってきた仲間にも魅力的に見えたらしく、あっという間に甲冑も首も全て持っていかれてしまった。当然“指”もだ。尊い地位も山の様な黄金も、死んだら置いていくほかない。死後に気高き精神やら魂やらが何処へ行くかは知らないし、色々な考えの奴がいるだろうがそれが何処であれ、きっと俺は”もう休ませてくれ”と言うだろう。

こうして俺達はほぼ完璧な勝利を収めたが、後送された2人と再会する事は出来なかった。
それでも、こんな上等な戦いは後にも先にもこれきりだった。
――つづく――次回、ローマ軍の物語、第17話”ユピテルに勝利の感謝を”ROMA AETERNA EST!!

以上

いろんなポーズの人を描くのは難しいけれどなかなか楽しいですね。
四肢がぶっとんでたり、臓物を溢したりしているのも描こうかどうしようか迷いましたがpixivの基準が良く分からないので適当に。

たしかゲルマン系の部族は戦場に家族を連れて行く習慣があったそうですがダキア人はどうだったんでしょう。
家族同行だと勝敗が決した途端、戦場がさらなる地獄絵図になったでしょうね。
滅茶苦茶に暴行されたり、奴隷商に一山幾らで売り払われたり。
古代は大変だな……。

揮発脳からまろび出た法螺話とはいえ、一応史実にそって進む話なので登場人物の造形をどれくらい現実的なものにするかというのが難しいです。もっと古代ローマ人ぽくするならば、たぶん家父長的な思想や習慣が強く、またローマ人や軍団兵としての自負心も強いでしょうし、現代的道徳観や理想とは大分離れた人物の方が良いかもしれません。

あまりやり過ぎるとさっぱり共感できなくなったり、ローマ趣味者以外には思考原理が理解不能だったり、説明が難しくなりそうではありますが。その辺に挑戦したのがHBOのドラマのROMEだったのでしょうね。実に面白かったです。

例えば、ここ最近の大河ドラマの類ですと中世や近世の人が突如自由・博愛主義的な事を言いだしたりする訳ですが、匙加減が難しいのでしょうね。特に歴史趣味者でもない人に時代ごとの支配的な思想や哲学について理解を求めるというのはなかなか……。数百年とか1,000年以上前の兵隊や戦士が殊更に敵の殺傷を躊躇ったり、慮ったりするかは疑問です。

命令があれば訓練通り殺し、持ち帰れそうなものがあれば略奪し、危険なものや気に食わないものは無抵抗の捕虜だろうが女子供老人だろうが殺し、そして破壊する。もちろん情けが無いって訳じゃないでしょうが。

クァルトゥスは戦場の光景と倒れ伏す敵味方を見て、明日は我が身であるという事に気づいてしまったようですが、あるいはそう気づけば尚更に略奪や暴行に拍車がかかるのかもしれません。同じ状況を見て虚無や無常に捉われるか、はたまた一時の狂騒に身を焦がすか。実際のローマ兵はどう思っていたのか、特に百人隊長より下の階級の人々は。

カルタゴが陥落した際にローマの行く末を感傷的に案じた上層階級、指導者の言葉は残っているけれど、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%94%E3%82%AA
兵隊達がどう感じたか具体的にはわからない。そういうものが詳しく残っていれば興味深いのですが、古代ローマの庶民たち、の続きでも読んでみる事にします。


今回はこの辺で。
ローマと軍団に無敵のマルスと全能なるユピテルの助力あれ!
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軍団兵履歴

Legionarius

Author:Legionarius
主に世界史・戦史(東西問わず)の絵を描いております。

形式:Legionarius
状態:製造年月日から30年以上経過
使用燃料:Laphroaig,Bowmore,
Ballantine(12年が好ましいが財布が薄いのでfinest)
エンジン形式:惰性型酒冷4ストロークバルブ108気筒
始動形式:諦念あるいは深い溜息
搭乗機:CBR600RR07白→CBR1000RR2012に機種転換(乗り手に過ぎる良い機体ですがハイオクは財政が……)

音楽:(Bill Evans, Miles Davis, Dvořák, Linkin Park, Rammstein, Killswitch Engage, Enigma外)気に入れば何でも。

書物:ノンフィクション、歴史(ローマ史、古代ギリシャ,WW2外)、SF(ホーガン、ハインライン外)、最近はOsprey社の本ばかり。主にマクブライド先生のやつばかり。

漫画:(大陸軍は世界最強とかアララララーイとか)雑食。

ゲーム:ROME TOTAL WAR、MEDIEVAL TOTAL WAR
     CALL OF DUTY、S.T.A.L.K.E.R、SILENT HUNTER外

好きな陛下:Marcus Aurelius Antoninus、Flavius Claudius Julianus
好きな甲冑:ロリカ・セグメンタータ
好きなヴァンツァー:フロスト
好きなマクナブ:受領通知!!、カチカチ、カチカチ、続刊はいつですか。
以下、好きなギボン、サトクリフ、パウルカレル、スティーブンハンター、フォーサイス、ルカレ、エルロイなどと八万行に渡って続くので割愛。

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