人生を愉しむのは明日からにしよう、だって?


人生を愉しむのは明日からにしよう、だって?
それでは遅すぎる、ポストゥムスよ。愉しむのは今日からであるべきだ。
いや、より賢明な生き方は、昨日からすでに人生を愉しんでいる人の生き方だ。

――マルクス・ウァレリウス・マルティアリス

まったく、一年の過ぎ去る事の何と早いことか。
早い早い、とは思うけれど、思い返せば誰もがそうである様に、山の様に面倒くさい事を始末していた訳で。
まさに“それ”に直面し、苦痛に耐え忍ぶその瞬間はじりじりと身を焼くようにゆっくり過ぎていったのには違いないのだから、喉元を過ぎれば熱さを忘れるとはまさにこの事なのでしょう。人間の鈍磨と忘却の偉大なる事よ!

2014年も私生活においては概ね欲望の限り、やりたい放題でありました。
この1年を通じてはっきりと自覚したのは、世の多くの人々が概ね疑いなく善きもの、善き時の過ごし方と認め、推奨するものの少なからぬ部分が自分には相容れぬものであり、受け入れ難いものであるという事です。
要するに私は多かれ少なかれ社会不適合であるという事なのでしょう。

こんな不遜な輩の存在を慈悲深くも許す社会とそれを構成する人々の懐の深さには日毎驚嘆し、敬服すること吝かではありませんが。嗚呼、その包容力たるや聖母の如し……。

漠然としていたものが、一定の形を成して問題点や目標として眼前に立ち現れた、という事はそれだけで大きな収穫です。2015年も口を糊する事を欲するなら、私がその極めて狭量な価値観に基づいて無意味と断じる事物に付き合わねばならぬのでしょうが、余人の事など知らぬ、とばかりに可能な限り、血も涙も情け容赦もなく歩み去って行こうと思います。

私は孤独である。私は自由である。私は自分自身の統治者である。
――イマヌエル・カント

何となれば則ち、私は己自身の支配者でありたいのだから。
真のローマ人であれば、奴婢の如き生に価値を見出すであろうか。

と大仰に書きましたが、要はこれまでの如く、好きに遊んで飲んで酔生夢死の道を転がり落ちて行きたいという、そういうアレです。謹厳実直なる日本国民の皆様や前途有望なる諸賢は絶対に真似しないで下さい。


・遊んでいる時は通常の23倍くらい元気

数年ぶりに雪山に行ってきました。
東京駅から新幹線で越後湯沢へ。
目的はスキーです。
湯沢01

このエリア最大の利点は駅、宿、ゲレンデがどれもすぐ近くでアクセスが良いという事でしょうか。
東京から電車で1時間半、駅の前がスキー場という良い立地です。
初日は晴れていて最高の条件でした。
湯沢02

久しぶりでしたので、滑り方を忘れているかと思いきや、身体は覚えていたようで。
普段は人の命令なら指一本動かすのも嫌なのですが、こういう時は寒かろうが、多少吹雪こうが、転んで肩や頭を強打しようが、まったく苦にならずゲラゲラと笑っているのであります。
ただ……現在筋肉痛で首や肩や腰や腿を動かすと激痛が。
湯沢03

やはり人の多い都市より山や雪原の方が落ち着きます。生まれる場所を間違えたのでしょう。あるいはこういう場所に生まれたなら真逆の事を考えていたのかもしれませんが。物足りないので早く上京したい……とか。
確かに東京には何でもありますが、同時に何一つないように思います。きっとそれは心持一つで決まることであり、空虚な精神の主はどこへ行こうと満たされることはないのでしょう。逆もまた真なり。

良い宿に風呂、料理、何らの不足もない有意義な滞在でありました。
欲を言えば、流行の歌だか何だか知りませんがゲレンデで音楽をかけるのを止めて頂きたい。
ただ、静かに雪と斜面と戯れたかったです。

次は再び志賀か苗場あたりに攻め込みたいものです。


・古代ローマとSF

 古代ローマを基にしたSFは闇よ落ちるなかれ、など色々あるようですが。今回はCaivs Marivs氏の作品を元に。
スチームパンクローマ01
スチームパンクローマ02
スチームパンクローマ03

 以下pixivより

ローマ建国紀元924年“蒸気と鋼の軍団”

ひとたび戦列の前面に押し出し、蒸気弁を開放したならばランケアリイよ、一つの事に専心せよ。
揺るがぬ石となれ、静かな水面となれ。
ランケアリイよ、常に平静であれ。

ただ、深い森の奥に隠された漣一つない灰色の冷たい湖の様にあれ。
たとえ照門と照星の向こうに憎悪に燃える蛮族の瞳が煌こうと、
その咆哮が汝の腹の底を振るわせようと、冷静であらねばならぬ。

ランケアリイよ、常に“一撃必殺”を肝に銘じよ。
敵を仕損じ、剣を抜く様な事になれば、それは即座に汝らの敗北と死を招来するであろう。

ランケアリイよ、今一度その背に負った“蒸気瓶”を思うが良い。
重荷を背負い、敵に背を向けて逃げ出したところで、それが叶う筈があるまい。

だからランケアリイの兄弟達よ、不動の心を鍛えよ。常に平静であれ、決して的を外してはならぬ。その人差し指で密やかに優しく、冬の夜に降り立つ霜の様に引き金を引き絞ったなら、必ずやその敵の息の根を止めるべし。ランケアリイよ、汝らにマルスとウルカヌスの絶えざる加護があらんことを。
―――カルヌントゥムの兵舎跡より穴だらけの牛の頭蓋骨と共に出土した銅板に刻まれたランケアリイの心得より―――

“釘打ち共”、ランケアリイの連中は亀の様にノロマだ。あの馬鹿みたいなアンフォラを背負って無様に歩いているのだから。それでも連中の腕は長く、彫刻家の様に繊細で、追撃剣闘士の様に恐ろしく速く、そして無慈悲だ。奴らの射撃が成功すれば、どれほど敵の戦列が吼え猛っていようが釘でも打たれたみたいに黙り込む。

確かにランケアリイには酷い酒飲みが少なくない。任務や当番が終われば倒れるまで飲んでいる奴など珍しくもない。
それでも最前列に立つ連中の目は狼の様に、同じ人間とは思えないほどに鋭い光を放っている。ゲルマニアに降り積もる青白い雪の様に、寒気がするほど澄んだ瞳は見ているだけで、どこかの暗く冷たい淵の底を覗き込んでいるような気分になる。

一斉射の号令や、鏃と矢羽が飛翔し、空気を引き裂くあの恐ろしい羽音を耳にするたびに俺は心底こう思う。
あぁ、こんな連中が敵にいなくて良かったと……。
―――第ⅩⅣ軍団歩兵隊長、ランケアリイについて―――

アレクサンドリアのヘロンが発明して久しい蒸気機関は一人の富豪にその用途を見出され、瞬く間に普及した。
紀元2世紀、小型化、高出力化はその頂点に達し、その技術はまさに爛熟期にあった。
ローマは火の神ウルカヌスの比類なき力をその帝国全土に行き渡らせていた。
街道に、海上に、最前線に、さながら心臓が血管を通じて全身へ十分な血液を送り込むように。

効率的に作用する機関は様々なサイズに姿を変え、用途に適応し、蒸気ガレーや蒸気駅馬車に動力をもたらし、前線には鉄道が行き交っていた。やがて、その技術はマルスとユピテルの恩寵を受けし、軍団にさえ及んだ。
人々は画期的技術の黄金期を蒸気の時代と呼んだ。

時は紀元171年、一人のローマ軍団兵が仲間達と共に蒸気と鋼鉄の獣に抱かれ最前線へと向かっていた。
比類なき皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスと偉大なるローマの命に従い、
北方の大地を侵すマルコマンニ族に鉄槌を下すために。
――――

クリスマス……?
ガリラヤ人の祝祭に真の征服者にして全世界の正当なる支配者たるローマ人が靡く筈があるまい。
良きローマ人諸君にサトゥルヌスの恩恵あれ!

よりにもよってこういう日に我ながら何をしているんだ、とは思わぬでもないですが……
つい先ほど投稿する段に到って、ようやく24-25日が何だったか思い出すという始末。
ユピテルとマルスとバッコスに誓ったので今年も来年もずっとこの調子でしょう。
ローマ軍の物語は全24話の予定。折り返しなので少々お休み致します。

で、今回はCAIVS MARIVSさんの小説、蒸気機関を手に入れたローマ帝国を舞台にした物語に勝手にイメージ画像を。
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4447291
古代ローマ趣味者ならば全体の98%(当社調べ)が妄想してしまうという、産業革命に達せんとするローマ帝国に具体的な姿を与えるという試み。

ライン線、ドナウ線、小アジア線、シリア線、エジプト線、北アフリカ線、ヒスパニア・ガリア線を接続した地中海環状鉄道とか、冷たい霧の立ち込める停車場で列車から次々とゲルマニアの大地に降り立つ軍団兵、騒々しい駆動音を上げる野戦蒸気式重カタパルトや戦闘用の打撃機構内臓(パイルバンカー?)の蒸気式義手など私の勝手な妄想は留まる所を知りませんが……。

劇中に登場する、蒸気式ピルムあるいは、プルムバタ射出機が大好物です。
やはり技能に優れるものは選抜射手とか狙撃兵になったのでしょうか。

あとは熱い蒸気を吐きながら敵艦の腹に衝角を突き立てる戦闘用蒸気ガレーとかもう……
切りがないので、この辺にしときましょう。
――――

敵戦列、距離200パッスス!!
ランケアリイ!!
ローマとマルクス・アウレリウスの為に20歩前へ!

全隊停止、初弾弾種、徹甲!
装填!!

蒸気弁開け!
構え、狙え!
撃て!!

 以上

そんな感じであります。
何だか海兵隊狙撃手やら何やらの訓練や試験、心得を思い出しながら勝手にキャプションを書いてしまいましたが……。

蒸気機関や技術を用いた装置や器具も楽しいですが、氏の物語に登場するマルクス・アウレリウス帝の思い描く“ローマ”そして“世界”“宇宙”が意味するところ、その理想と現代人の思い描くそれとの差がはっきりと描かれている所が白眉であります。無論実際の皇帝がどうであったかはもはや誰一人知るところではなく、資料から窺うほかありませんが。

描いた後に兜を見て気づきましたが、どうも最近はインペリアル・ガリックH型とイタリックG型を混ぜた様なものを脊髄反射的に描く癖が……。マルコマンニ戦争の時期ならばもう少し熟考すべきだったか。下書きの投石機の弾道も書き加えるのを忘れているし……我ながら詰めが甘い。次回への反省と致します。 


今回はこの辺で。
来年も、この調子でしょうが良ければまたお越し下さい。

ローマと軍団に無敵のマルスと全能なるユピテルの助力あれ!
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事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである


事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
――フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

まさに、世界とは表象である、ということでしょうか。
各自が世界をどう知覚するか。
となると人間の数だけ表象があり、解釈があるのでしょう。

そういや投票率52%、良いんですかね、これ。
事実上の機能不全という奴では。


・日記っぽい日記

この疲弊感、倦怠感はいったいなんであろうか。

ライ麦畑のホールデンの様に、世を円滑に動かす為に行われているであろう“欺瞞”や“演技”への参加を強要される事にうんざりしつつも、彼の言う“純真な子供”というのに格別の愛情を抱く訳でもないし、そもそも子供が純真かと言うと甚だ疑問ではあります。経験と配慮の欠如から正直な存在ではあるでしょうけど、子供は子供なりに欲望や保身や悪意が身の内に渦巻いているでしょうし。あるいは私が殊更に不純な子供だっただけか。

同様に異邦人のムルソーの様に、社会が求める類の見え透いた上辺の態度や振る舞いを概ね拒否したい、とは思うけれど死刑になるほどその道を究めようとは思わないのです。

ただ、日々、幾何級数的に、ケスラーシンドロームの様に増殖していくタスクと人間との関わりに辟易しているのでしょう。自分にこれが必要なのかと。きっと必要だから発生しているのでしょう。それは分かるのですが。こういう問題は普通、10代後半か20代くらいでケリをつけて、諦念やら適応やら鈍化で社会と折り合いをつけていくものなのでしょうが、私は未だに駄目ですね。30年変化が見られないので、この性質は生涯不変な気がします。

しかし、もっと平穏に生きて、忙しない活動から離れて、死が訪れるその日までを静かに過ごす様な生き方は出来ないものか。少なくとも徒に騒々しい者や目を血走らせて競う者達、余計な仕事を増やす蒙昧極まりない者共から離れ、煩わしい不毛なものに振り回される事の無いよう、距離を置く事は出来ないものか。

マルクス・アウレリウス帝は自省録にて、それはムズいんじゃねえの、と仰ってた様な気もしますが。
目標と結論ははっきりしているので、あとは手段ですね。

余は汝らが何を望もうと、この目まぐるしき舞台を降りる所存である。
余が、この果て無き饗宴を辞すとも、汝らは好きに踊り続けるが良い。
余は決してそれを妨げる事無く、背を向け遠くへ立ち去ることもなく、ただ静かに汝らの幸福を見守るであろう!

そんな感じ。


・映画フューリーを見て、愛ゆえに鬱陶しい突込みをする

戦争映画なだけに、ひたすら兵隊が出てきて順番に死んでいくだけなので、ネタバレも何も無いとは思いますが、内容を全く知らないまま見たい人は、以下は読まない方が良いと思います。

貴重なティーガーが出るというので見てきました。円筒形のキューポラ、131号だから初期型?
だけど後部デッキの特徴的なエアクリーナーは取り外された?戦況が逼迫しているから引っ張り出してきたという設定か、などという、うざったい突っ込みはひとまず置くとして。

登場する兵士達も疲弊して薄汚れているし、ヒーロー映画にありがちな非現実的なまでの正義感や博愛精神を徒に披露したりはしない。血も出ない様なテレビドラマの合戦とは違い、人体は容易く損壊し、捕虜や負傷者は惨たらしく虐待され、あっけなく屠られ、どちらも非情で残虐で虚しい営みを強いられているという描写は、制御不能と化した巨大な戦争の現実として頷けます。大空を数え切れないほどの爆撃機が編隊飛行しているところにほんの少しの迎撃機が向かっていく何気ないシーンなども絶望的な戦況とそれに従事する人々の境遇が想起され、実に感じ入るものがありました。

けれど、そう思うだけに、もう一声と思うところもないでもない。
特に歩兵の展開や輸送車両の運用、肝心の戦車の使い方がもったいない様に思えました。その手のシークエンスを考える係の人は当時の戦術教本とか、歩兵指揮官や、戦車搭乗員の手記や、戦闘記録をちゃんと調べたり、本職の人や専門家に確認して筋書きを書いたのだろうか、と首を傾げたくなる様なシーンが多々あり。
最初は凄いな、と見ていたのですが中盤くらいからこういうもんなのだろうか、と。人材も装備も払底した末期戦だからそういうものなのでしょうか。

枝葉末節ですが、全身が燃えている状態でホルスターから銃を抜いて自分の頭に突きつけて死ぬって結構な難易度だと思うのですが、できるものなのか。街の娘と仲良くなる場面が唐突でしたけど、あれは尺の問題で仕方ないか。何だかミニスカートみたいの履いてましたが、そういうもんなのか。私、気になります。
あとシュタールヘルムと金髪の三つ編みは良く分からないけれど似合いますね。ヒトラー最期の12日間でも思いましたが。
背徳的な感じがします。

それはさておき、日本語でも戦史の書籍や資料はそれこそ山ほどあるのだから、英語やドイツ語の資料にあたれば幾らでも出てきそうなものですが。あるいはそういうリアルさはアクション映画の本旨から外れるから最初から度外視なのか。
くどいからそれなりにリアリティー(リアルではなくリアリティー、それっぽさ?)があれば良いのか。でも少なくとも半分以上は戦車や戦闘を売りにした映画なのだから、ずぶの素人の私でもおかしいのでは、と思う様な状況は見せちゃいかんのでは。

とにかく登場するドイツ軍も米軍も偵察を軽視して、戦況も相手の戦力もよく分からない戦域にどんどん貴重な戦力を突っ込む……。しかも米軍はお得意の航空支援(ヤーボ)も火力支援(準備砲撃など?)もしない。そして待ち伏せをくらってばんばん死んでいく。部隊の編制も諸兵科の連携が今一つで随伴歩兵のいない丸裸の戦車を敵の勢力圏にほいほい放り込む……。戦車はお前達しかいないんだ、だから行ってくれ、などと命令する割に指揮官の指示や編制が杜撰過ぎる。
砲兵、航空機、戦車、歩兵、それぞれが互いの長所を活かし、短所を補い合わないと損害が徒に増えますよね……。

それからティーガーとフューリーが至近距離でグルグル回るシーン(ちびくろサンボのトラか?)があるのですが現実にもあるものなのでしょうか。相手が見えている状態でティーガーが延々と車体背面を見せ続けていたのは何故。超信地旋回による履帯へのダメージを恐れて、あるいは砲塔の照準位置を保持することを優先し、やむを得ず車体を旋回させなかったのか。そもそもティーガーが超信地旋回できないという説もあるそうですが、構造的には出来るとか、どっちなんだ。
http://www.tamiya.com/japan/products/56009tiger/side_story.htm

敗戦直前の人材不足で錬度が低いというのはあるかもしれませんけど、死に際の車長の右上腕を見れば戦車撃破章が二つ……。おい、責任者を呼べ!つまり経験豊富どころか携帯対戦車兵器で身一つで戦車を撃破した古強者だったというわけで。対戦車戦のエキスパートじゃないですか。そうするとますます整合性が取れない。細部が甘いのか、砲手や操縦手が新米だったのか。

製作予算が無くて借りもののティーガーに無茶をさせられなかったからなのか。
高威力・長射程の砲を持つティーガーが距離をとって砲戦しない理由が不明。派手な画面を見せる為に接近戦の一騎打ちみたいにしたのかもしれませんが、見せ方次第で長距離の砲戦も格好良いと思うのですけれど。
とはいえ、可能性を考えていたら切りがないのでそこまでは良しとしましょう。

特に気になったのは最後の擱座した戦車1輌対歩兵300人。それまで乗員の生存を重視していた車長の態度が一変、絶望的な戦いに仲間を引きずり込む。理由がよく分からない、相手がSSだったからか?お前達は逃げたいなら行けばいいさ、俺は一人でも残るけどな、て……わざわざ人の罪悪感に訴えるのは、どうかと。
スパルタ軍ではあるまいし、仮に歩兵300人程度に要所を突破された所で補給も支援も後が続かないのだからあっという間に駆逐されてしまうでしょうし。経験豊富で勇敢な戦車兵を投入して死守する必要あったのか、と。

ドイツ兵もドイツ兵で新兵だから最初の待ち伏せの衝撃でパニックを起こして薙ぎ倒されるのは分かる。
でも、日が暮れるまで延々と半日近く戦っている(しかもシーンの切り替わりでいきなり夜に……)割にいつまでも状況を把握できず、わざわざ戦車前面(前方機銃のある)に殺到して滅茶苦茶に撃たれて死んでいくのは一体どういうことなの。
おまけに対戦車火器を持っているならまだしも、小銃や機銃しかもたないドイツ兵が戦車に向かっていく理由がよく分からない。

主砲や搭載機銃の数は限られているのだから、部隊を幾つかに分けて複数の方向から死角を確認して攻撃を仕掛けるなり、損害を最小限に食い止める工夫をするべきなのでは。FPSのAIじゃないのだから死や負傷を恐れずに無意味に体の投影面積を最大にして突っ込むなんて本当にあったのでしょうか。遮蔽物なり、溝なり地面の凹凸なりを利用してじわじわと接近し、側面や背面を目指し、対戦車火器で攻撃するべきだと思うのですが。

パンツァーファウストも行進時には肩に担いでたのに何故か慌てて箱から取り出すシーンが……。
いくら戦時急造の実戦経験のない新兵でも現実の脅威を目の当たりにすれば地面に這い蹲るでしょうし、ゾンビみたいに突っ立ってわざわざ戦車の射界に吸い込まれていく理由が不明です。まるでただ撃たれに行くために火を噴く機銃の前に突撃していく……ただ主役達の射的の的になりに行く様な。

そもそも経験の浅い指揮官だったとして全く斥候を出さないで無警戒に敵地へ前進するという事はあるものなのでしょうか。おかげで将校が死ぬわ、兵員輸送車両が吹っ飛ぶわ……大惨事。
脅威を視認したり、先行する斥候が戦車を発見した時点で本隊は停止するなり、歩兵を降車させるのでは。そうはせず、わざわざ射程に入るのは車両ごと吹き飛ばされて搭乗者を皆殺しにしてくれ、と言うようなものではないでしょうか。

戦争だから何でも論理的、合理的に進むものではないでしょうし、混沌としているのでしょうけれど。
1945年4月なのでそういう組織的な戦闘をする能力や士気や装備を失っていたというのもあるかもしれませんけど、学校出たてなら、むしろ基本に忠実に、おそるおそる慎重に行動せぬものなのでしょうか。

というわけでその手の映画が好きな人にはそれなりに楽しめると思います。ちまちまと細部が気になり始めると幾らでも突っ込めるでしょうけど、突っ込みを入れたくなる映画というのは、面白いので良いかと。

ただ、骨のあるドイツ将校が不屈の指揮を見せつけてくれるとか、もう一工夫すれば良いのに惜しいな、と。たとえば戦闘中のティーガー車内の状況も見せるとか。素直に北アフリカとか1944年のフランスとかじゃ駄目だったんでしょうか。
あるいは主題は戦争の無惨さ、虚しさ、不条理さであり、敵の質がどうとか戦闘技術はどうでも良いのか。

たとえばクルト・クニスペル曹長の生涯をそのまま映画にした方が良いのでは。
18歳か19歳でザガンの戦車訓練大隊へ、第503重戦車大隊の砲手として活躍、仲間に信頼され、頼りにされるけれど素行が悪く上層部に評価されない、最後はティーガーⅡで出撃し戦死。いかにもハリウッド好みの人物だと思うのですが。
前人未到の168両撃破だし。でも枢軸で活躍した人が主役の映画は難しいのでしょうね……。
その辺の思想・政治的限界をクリアしないと、この分野の映画の更なる発展は望めないと思うのです。

総評としては結構面白いけれど、もったいない。折角の素材を余すところなく使えていない様な。美味そうな肉だけど火が通っていない様な。これだけ書くという事は間違いなく好きではあるのです。こういうのが好きなだけに注文が多くなるというか。自覚してはいるけれど。

愛するが故に瑕疵が気になる。我ながら鬱陶しい奴だ。
いや、私は古代人なので20世紀前半のゲルマン人連中の戦い方など、さっぱり知らないんですけどね。
門外漢はローマに帰れ、と。ヤボール!!


・お絵かき

pixivでお知り合いのCaivs Marivsさんの小説、古代ローマ時代に高度に発達した蒸気機関や、それに付随する機器が普及していたらという仮定のスチームパンクなローマ帝国物語を題材に勝手にお絵かきを。

 ローマ軍団兵と蒸気銃

背負ったタンクに蓄えられた高圧の蒸気でプルムバタを射出し敵戦列を薙ぎ倒す兵科、劇中のランケアリイを描いてみました。私の勝手な想像なので、イメージと違うかもしれませんが。

重装歩兵の密集隊形前面に展開。
指揮官の号令で蒸気弁を開き、構え、発砲指示に従い一斉射撃、あとは任意に射撃。
装備が重くて白兵戦などもっての外でしょうから後退しながら射撃して、味方の歩兵と入れ替わるのでしょう。
現実の戦史で言うと近世・近代の歩兵戦列の周囲に展開した散兵みたいな役割でしょうか。

寒々しいゲルマニアの大地でマルコマンニ族と戦うマスケット銃兵みたいな感じで。
こういうSFも楽しいです。脳みそに投影された映像を画面に出力するのは得も言われぬ快楽であります。

ローマ軍の物語は全24話の予定なのでちょうど折り返し、2015年中に終わるかどうか。
筋書きは出来上がってるので、ちょっと休んだら再開します。
さて、この辺にしときます。

ローマと軍団に無敵のマルスと全能なるユピテルの助力あれ!

誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである


誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである。
なぜかと言うに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだということが、問わず語りに暴露されているからである。

すなわち個人としての特性が不足していなければ、
何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがないからである。
立派な個人的長所を具えた人は、自国民の欠点を常日ごろ見せつけられているのだから、
この欠点をこそ最もよく認識するわけであろう。

ところが何一つ誇りとすべきもののない憐れむべき愚者は、
たまたま自分の属する民族を誇りとするという最後の手段を命の綱と頼むのである。
これによって息を吹き返し、随喜感激して、
自国民に具わる欠点や愚かさを何から何まで力のかぎり根かぎり弁護しようとする。
――ショーペンハウアー 幸福について


痛烈ですね。ネット右翼とやらに傾倒する人や、まんまと愛国ビジネスの類の食い物にされている人々の本質を抉る様な鋭さ。自己の存在価値を外部に依存すればするほど、内面と実像の空虚、軽薄さが際立っていく。
帰属するグループの優越性を声高に叫べば叫ぶほど、個人としての特性が欠如している事を自白する事になる。

心理学はさっぱり分かりませんが、同一化とか、同一視とかいう奴でしょうか。
あたかも虎の威を借る狐の様に、貧弱なレゾンデートルを国家や民族という鎧で懸命に覆い隠す様な。
いや、ローマ人がどうこう言う私もその類なのかもしれませんが、それで諍いを起こしたり、面倒を増やしたりするのはあまり賢明とは思えませんね。


・またですか

私の狭い了見からすれば我が愛すべき祖国は、例えるなら散々好き勝手飲み食いしておいて、飲み屋のツケを子供に払わせる様なろくでもない酔払いの様に見えるのですが、多分不明極まる私の錯誤なのでしょう。

きっと我が国は依然として世界に冠たる優良国家なのでしょうし、そうであろうとなかろうと他国と自国を比較し、相対的に見ればマシと安堵し、溜飲を下げるほか無いのでしょう。
やったね!

で、また選挙なのですが。
スーパー消去法タイムですかね、また。一番マシな奴を選べ、的な。
目下最大の関心事は投票の帰りに何の酒とつまみを買うか、ですが。
豚肉でも買って炒め物にするか。ビールと葡萄酒買って昼間っからおっ始めるか。

だんだん考えるのが面倒臭く……。
まったく我が脳はスポンジ状になっているのではないだろうか。
さて、投票どうしようか……。


・氷山の一角

遊民氏が取り上げられていたので初めて知りましたが。
http://www.alterna.co.jp/13436
これが本当なら他の業界にも同じ様な状況が沢山あるんでしょうな。
良い様に食い物にされるのは何も知らない消費者、と。

ステルス税というのはネットの用語か何かだと思ったら、英語の辞書にちゃんとあるんですね。
stealth taxて。日本語だと何というのか。あるいは該当する言葉が無いのか。つまり問題とされていないのか。

確かに言われてみれば馬鹿正直に○○税なんて名前を付けて金を集める必要なんてないのですよね。
そんな事したら皆払いたくはないでしょうし、反対するでしょうし、支持率は下がるでしょうし。
生命や生活の維持に必要な食料や飲料や電気、ガスなど誰もが関わらざるを得ないものにさりげなく上乗せして、合計額で売り出せば誰も疑問には思わないし、思ったとしても払わざるを得ない、と。

国民はわけのわからないうちにあちこちで毟り取られているのでしょう。金を毟られるという事は、即ちそれを得る為に支払った時間や労力や機会を毟られているという事で、時間を奪われるという事はつまり人生や生命を奪われているという事なのでは。

こういうのが本当に必要な制度や仕組みであるのか、それとも人々の無知と無関心を良い事に搾取する小賢しいダニの様な存在なのか……。

後者なら何ともつまらぬ人間の多い事よ、と思いたくなりますね。立派な脳みそを与えられて、才知に優れ、上等な学校で学び、選ばれた者の最終目標が天下りの役員報酬と退職慰労金とは。そりゃ金があるのは良いでしょうけれど。その労働により何かを生産する訳でもなく、何かの価値を創造する訳でもなく。

こういうものに関与する人というのは自分のやっている事に自覚的なのか、無自覚なのか。その優れた知性や才能をもっと生産的な事に使おうとは思わないのでしょうか。しかし生涯を通じて、この様な事に汲々としているというのも、ある種憐れな存在なのかもしれませんね。他に何ものをも見出せなかったのかと。何とも冴えない話です。


・作業の遅延をアサシンクリードの新作のせいにする

http://www.ubisoft.co.jp/acu/movie/index.html
革命期のフランスを自由に歩けるゲームがでるとは。

光と色彩、オブジェの質感、世界の存在感がシリーズを追うごとに進歩しているのが見て取れます。
かつてあった世界を再現し、その時代にプレイヤーを放り込むというコンセプトが揺らがないというのもお気に入りです。核たるものが何であるかがはっきりしている。CODなどが見る影も無く迷走しているのを思えば歴然たる差があるのでは。

若き日のナポレオンと語らったり・・・・・・。
パリの地下の汚泥を浴びたり。
ギロチンを見学したり、バスティーユから脱出したり、サド侯爵の歪みっぷりを垣間見たり。
美しい木目の家具調度で飾られた旧体制時代のサロンやカフェをうろついたり。
荘厳な大聖堂や豪華絢爛な宮殿に忍び込んだり。

楽しい。

この調子でビザンツ帝国(オスマン朝時代のイスタンブールはあったけど)や古代ローマも再現されないものか。
バシレイオス2世の密使として帝都や小アジアの諸都市を駆け巡ったり。
トラヤヌス帝の時代ならダキアで胡散臭い工作をしたり、パルティアに粉かけたり、ハドリアヌス帝継承時の例のスキャンダルに絡むのでしょうね。で、色々と知りすぎて殺されかけ、辺境に飛ばされゲルマニアやらブリタンニアへ。
夢が広がる。


・月刊ローマ・ジャーナル

【サルミゼゲトゥサ:26日】デケバルス王は本日、サルミゼゲトゥサ近郊に集結した戦士達を前に、ローマに対する全面的な戦争の再開を宣言した。王はローマへの勝利により栄光を取り戻す事、戦利品と捕虜の分配、肥沃な土地を取得する事を約束し、戦士達は大いに気勢を上げた。一方でダキア人有力者の情報通の一部には圧倒的なローマの戦力とダキアの継戦能力を比較し、戦争の趨勢を疑問視している者もおり、ダキア軍も一枚岩ではない、というのが実情のようだ。ドナウ流域の市民達は政情不安に大いに苦しんでおり、総督と皇帝への平和回復の嘆願は日に日にその数を増している。
当支局は引き続きダキア情勢を注視し、現地取材を続行する予定。
ローマ軍の物語12
26日、故郷に別れを告げるダキアの戦士達と共にローマとの戦いへ赴くデケバルス王 提供:IRBC通信 ダキア支局


ローマ軍の物語12 ダキア

どこかで聞いたような事を……

以下pixivより

ローマ軍の物語XII “ザルモクシスの戦士達”

かつての私がそうであったように、ときとして戦いを知らぬ者が平和に厭いて、戦いを欲し意気盛んであるように、ローマ人との戦を知らぬ若き戦士達は血気盛んだ。彼らは戦争を狩りか喧嘩、部族の小競り合いの如きもの、あるいは退屈な日常から熱狂に駆り立てる何かの冒険だと見誤っている。幾許かの危険を味わい、多少の血を見て、数日もすれば記念の戦利品や土産話と共に栄光に包まれて故郷に帰る事が出来る、と。だが、トラヤヌス“王”が率いるローマ人との戦いは彼らが頭に思い描いている様な輝かしい武勇の誉を披露する場ではない。

もっとも、その無知を一方的に責める事もできまい。彼らは十数年前のタパエの大勝利や僅か数年前の“華々しく英雄的な敗北”といった綺麗に拭われた物語に首まで浸かって育ったのだから。実際の戦場で何が起こるのか、詩人や竪琴弾きが語り継ぐ様な麗しい物語が一つ紡ぎ出されるまでに、果たして幾つの醜悪で惨めな事実が拭い去られるか、という事など誰が窺い知ることができようか。

戦いを知らぬ者が死と苦痛を鮮明に思い描く事は無い。彼らが決まって口にするのは英雄的で栄光に満ちたおぼろげな死であって、病と飢え、不治の怪我、屈辱と不名誉に満ちた犬死に、そして隷属について語られる事は無い。そうした災いがその身に及ぶ事すら夢にも思わない。だが生まれてこのかた、甘美な酒のほかに飲み物を知らず、夢に浸り、酔いしれる者を咎めることなどできようか。汝らは苦い薬の味を知らぬ、などと。悪びれる事も無く、その夢幻を彼らに物語ったのは果たしていったい誰であっただろうか……。
未だ見ぬもの、未だ聞かぬものを知り、想像できる者など、どれほどいるだろうか。

天を翳らせ、雨の様に降り注ぐ鏃を、十分な鍛錬を積み上等な鎧を纏った屈強な戦士と、そうでない者を区別なく容易く屠る事の出来る兵器を、あの一糸乱れぬ盾の壁を、小柄だが等しく鍛え上げられたローマ人の侮り難い剣技を、知る者は少ない。惰弱な都市に住み、ギリシアの気風に染まる柔弱なる民などという認識は誤解も甚だしい。ローマ人とローマの戦士を混同する者はその身を以って苦い教訓を得ることになるだろう。

それを見た者、味わった者、鉄の嵐に身を竦ませ、血と臓物の匂いを嗅ぎ、膝を土で汚し泥を舐めた者の多くはザルモクシスのもとへ逝くか、その首と手に枷を嵌められローマの虜囚となった。そして、誰一人として故郷に戻る事はなかった。傲岸不遜なローマ人と彼らの“王”に対し、我等がデケバルス王がどの様な方策をとられるのかは私には知る由もないが、もはや選択の余地は無い。戦いは避けられない。大河を挟み、剣を抜き終えた二人の巨人が大魚を前にそれぞれの家で大人しくしていることは難しい。我が部族は王との古き盟約に従い、私は信義に基づき我が部族にその剣と命を捧げる。部族の戦士がその約を違える事はありえない。

我等が勝利すれば問題は無い。しかし敗北は数多の問題をもたらす。仮に敗北し、ただ憐れな戦士達の苦痛と死をもって話が終わるのなら、それで良い。それは戦士の宿命なのだから。だが、そうはならないだろう。一族もそうでない者も男も女も子供も皆虜囚の身となり果てるのだ。連れ去る価値すら無き者は屠られ、都市は毀たれ、焼かれるだろう。無論、戦の趨勢が如何に傾こうとも、混沌の後にはいずれ静けさが訪れる、荒れ狂う嵐にも必ず終わりがある様に。

ただ、静けさが訪れるには時を要するだろう。そして我が一族が生き延びるには同様に幾許かの時が必要だ。混沌が静まるまでの北部への避難、飢えを凌ぐ備え、何もかも時を要する。故に私はたとえ瞬きするほどの僅かな時であろうと、その一滴を手に入れる為ならば死力を尽くすだろう。たとえローマ人が地を埋め尽くそうと、鉄と火を以って天を覆い尽くそうと、侵略者の足を一歩でも鈍らせる事が出来るのなら、喜んでこの身を大地と神に捧げよう。

神よ、我等に勝利を!それが叶わぬのなら我が切っ先にて一人でも多くの敵を屠らせ給え。我より先に逝きし一族の者達よ、我に力を与え給え。そして我が身と引き換えに我が子、我が妻、我が友と一族のすべての者達に生き永らえる時を与え給え!
――つづく――次回、ローマ軍の物語、第13話“カストルとポルックス”ROMA AETERNA EST!!

タパエの大勝利:ローマ軍はダキアに対し、タパエの戦いで紀元87年に大敗北を喫している。

数年前の華々しくも英雄的な敗北:第一次ダキア戦争、ローマが勝利しダキア王デケバルスは降伏、停戦。

ザルモクシス:ダキア人の神。ダキア人は魂の不滅を信じていた。

侵略者:ダキアに存在した豊かな鉱山や奴隷獲得はおそらく開戦前から期待されていただろう。ダキアから見ればローマはまさに侵略者と言える。敗者は虜囚となり、死に絶え、あるいは恐怖に口を噤む以上、歴史は概ね勝者が書く。汚点や細部の瑕疵は拭われ、美々しく飾られ、都合の良いように。侵害への正当防衛、必要欠くべからざる資源獲得、あるいは内政の不備から目を逸らすため、そして“高度に政治的な判断”、名目や大義や真意は千差万別だが、何であれ額面どおりに受け取るのは危険だ。ただ一個の人間ですら日々嘘を吐くのだから、その集合体である国家は果たしてどうだろうか……。理由は何とでも紡ぎ出す事が出来る。粘土板、石碑、戦勝記念柱、新聞、テレビ、ネット、情報は何時でもどれでも恣意的に都合よく摘み上げ、編集される。情報と印象の操作は古代においても現代においても、本質的にはそう大差の無い人間の営みなのだろう。法螺吹きの私が今まさにローマとその軍団を称揚している様に。
“私が歴史を書くのだから、歴史は私に好意的だろう”ウィンストン・チャーチル

以上

 おまけ
 ローマSMS

 今回はこの辺で。
 
 デケバルス王との盟約に従い戦列に集いし全ての部族とその戦士達にザルモクシスの栄光あれ!
軍団兵履歴

Legionarius

Author:Legionarius
主に世界史・戦史(東西問わず)の絵を描いております。

形式:Legionarius
状態:製造年月日から30年以上経過
使用燃料:Laphroaig,Bowmore,
Ballantine(12年が好ましいが財布が薄いのでfinest)
エンジン形式:惰性型酒冷4ストロークバルブ108気筒
始動形式:諦念あるいは深い溜息
搭乗機:CBR600RR07白→CBR1000RR2012に機種転換(乗り手に過ぎる良い機体ですがハイオクは財政が……)

音楽:(Bill Evans, Miles Davis, Dvořák, Linkin Park, Rammstein, Killswitch Engage, Enigma外)気に入れば何でも。

書物:ノンフィクション、歴史(ローマ史、古代ギリシャ,WW2外)、SF(ホーガン、ハインライン外)、最近はOsprey社の本ばかり。主にマクブライド先生のやつばかり。

漫画:(大陸軍は世界最強とかアララララーイとか)雑食。

ゲーム:ROME TOTAL WAR、MEDIEVAL TOTAL WAR
     CALL OF DUTY、S.T.A.L.K.E.R、SILENT HUNTER外

好きな陛下:Marcus Aurelius Antoninus、Flavius Claudius Julianus
好きな甲冑:ロリカ・セグメンタータ
好きなヴァンツァー:フロスト
好きなマクナブ:受領通知!!、カチカチ、カチカチ、続刊はいつですか。
以下、好きなギボン、サトクリフ、パウルカレル、スティーブンハンター、フォーサイス、ルカレ、エルロイなどと八万行に渡って続くので割愛。

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