どんなものも、その90%はカスである

どんなものも、その90%はカスである
――シオドア・スタージョン SF作家

スタージョン、読んだこと無いですけど、スタージョンの法則だけは知っています。
90%かどうかは分からないけれど、しかし何であれ半分以上はどうしようもないものが占めているという様な気はします。

ほとんど無価値な駄作にも練習だとか実験だとか、多様性の維持だとかいう意味がある程度はあるのでしょうから、完全にゴミという事はないのかもしれません。とはいえ人間に与えられた時間は有限である以上、ある程度選ぶ必要があるでしょう。何らかの作品であれ、人付き合いであれ、選ぶべきです。

さりげなく人間をもの扱いしてますが、当ページが非人道的で砂粒程度の道徳も良心も持ち合わせていない邪悪で酷薄な魂の牢獄である事は皆ご存じの事と思われますのでさらっと流しましょう。どんな相手であれ、敬意を表して応対すべきだとは思いますが、どうも博愛主義者にはなれそうもありません。何の話やら。


・何奴

何者なんだ、この人は……。アリゾナの荒野を背景に延々と日本のアニメについて語ってる。シュールすぎる。
http://www.youtube.com/watch?v=KTqMZBYdKPI
ジブリはもちろんのこと銀英、ガサラキ、劇場版パトレイバー、学園黙示録、大正野球娘、攻殻、そしてガンスリンガーガール……。グローバル化とはこのことですか。

彼の分析と批評も面白いけれど、忠実仔細に翻訳している人も凄いですね。こういうのを見るとますます不思議になります、果たして世界は広いのか狭いのか……。情熱や魂に欠けた長寿には微塵も興味はありませんが、もし長生きしてしまったら、こういう楽しげな人になりたいものです。


・根深き文化と社会性の欠如

文化の日、文化祭……懐かしい。
若かりし日、高校の文化祭では露店の準備や演劇の大道具など事前の作業だけ手伝い、一応義務は果たしたと一人納得し、当日は部の演奏だけ参加し、部室か図書室に逃亡していました。

大学の学園祭だか何だかは数日講義が無くなるので、あれ、これもしかして行かなくて良いんじゃね、と普通に家でごろごろしていました。折角、人と関わり合いになる機会をお膳立てしてもらったのにこの始末です。
どうやら学生時代から社会不適合者としての頭角をめきめきと現していたようです。

先日も慈悲深き友人に誘われて神保町の古本祭りやら何やらに行ってみましたが、10分も歩かぬうちにあまりの人の多さにHPゲージを消耗し尽くし、「古本屋めぐりはこの辺にしてその辺の居酒屋で飲もうぜ」などと極めて“文化的”な提案をする始末。共栄堂でポークカレールー増しを頼みつつ昼間からビール、そして適当に見つけた居酒屋へ。
このザマでは何かの間違いで夏と冬の例のイベントなどに参加したら死んでしまうのでは……。

やはりぼっちはぼっちらしく静かに過ごすのが良さそうです。
魚が陸を闊歩することは出来ないし、短時間の水中捕食を除けば鳥が水中で生活する事は出来ないように、私は人の多いところに進んで行くべきではないようです。眩暈がします。
騒々しいもの、忙しないもの、祭りや長蛇の行列、混雑への忌避感、年々酷くなっている気がする。


・暇を支配する

何もする事の無い、予定の空いた時間を与えられると退屈で耐えられぬという人も世の中にはいるようですが、ここ数年、自由な時間を暇だとか退屈だとか思った記憶がありません。読みたい本や調べたい事や二輪で走りたい場所や描いてみたい絵が沢山あるので、空きの時間があれば体力か時間が尽きるまでそれを実行している為です。

頭の中に思い浮かべた情景や際限なく増殖する情報を何らかの形で出力しないとおつむが爆発しそうになります。この取り留めの無い日記もその一環で、明確な目的は無く、記憶の整理や自己分析、黒歴史の発掘及び生産、そして思いつきを書き留める事そのものが目的と化しているのでしょう。

何も手に持たず、娯楽の無い場所でぽつんと立っている時(何かの時間待ちでも)でも頭の中に蓄積した情報や知識を引っ張り出して考え事をしたり、何かの物語でも捏造していれば幾らでも時間を潰せます。さらに手帳と鉛筆でもあれば完璧です。

頭脳次第で世界は貧弱で味気なくつまらぬものにもなれば、豊かで面白く味わい深いものにもなる。

内面の空虚から生ずるのが、社交や娯楽や遊興や奢侈を求める心。これらのために多くの人が浪費に走り、やがて貧困に落ちる。こうした貧困を最も安全に防ぐ道は、内面の富、つまり精神の富である。
――ショーペンハウアー


思うに空いた時間を楽しめない人は、事ある毎に人を集め、遠くへ行き、結構なお金か何かを消費していないと楽しいと感じられないのではないでしょうか。情報を様々に吸収し、それを分析して、自分で好き勝手に考える様になれば、さほどお金を費やす事無く過ごす事ができるので、そちらの方が良いのではないかと思うのですが、きっと大きなお世話なのでしょう。

私はやたらとお金を使うより頭を使ったり、運動したり、静かな部屋で絵を描いたり、読書する方が充実した生活が出来る様に思います。多少の酒か茶は必要ですが。多少と言うのは個人差があるのです!(おもむろに3L箱ワインとウイスキーのボトルを引っ張り出しつつ)多少はね……。

われらは己のものをほかと比較することなしに愉しみたし。他人がより以上幸福であることに苦しめらるるならば、人はけっして幸福ではありえぬ。
――セネカ


己の人生が退屈だとか、つまらないと嘆く人も同様で、きょろきょろと周りばかり見て、生活水準が豊かな人や(上等な家、車、美味い食事があるだの、ないだの)、楽しげに過ごす人を羨み(友達や恋人がいるだの、いないだの)、自己と他者との差ばかり気にして落ち込むというのはセネカ先生の仰るとおり不毛で実りの無い作業の様に思います。

状況の改善に向けて問題点を探り当て、分析し、そして行動するならともかく、羨んでも何も変わらないでしょう。時間と体力と精神の空費です。退屈なら自分が興味関心のあるものが何なのか自身に問い、それに準じた楽しそうなものを探せばよいし、目ぼしいものが見当たらず、つまらないなら自分で楽しいものを(それが私の様に自己満足に終始していようと)作り出せば良いだけの話であって、原因も解決策も全て各々自身の内にある筈です。

始めは全体の半分
――ピュタゴラスだったかプラトンだったか
始めた者は既にその半分を成したに等しい
――ホラティウス


散々偉そうな事を並べて何が言いたいかというと……暇や自由とは最高であり、その楽しみ方を知らぬというのは極めて残念であり、私は自由に過ごせる暇人になりたい、という事です。
ドラクロワが手記に残した様に、絵や書籍など、興味関心のある事にだけ己の人生を投入したい。
つまり、働きたくないでござる!


・社交の選別

くだらない人間どもを、宴会では避けるように心がけるがよい。
酒が入ると、彼らの勝手な気持ちはますます緩んでくる。
しらふでも恥知らずな彼らなのだ。
――セネカ


ヨーゼフ・メンゲレがどこぞのプラットフォームで人間を選別していた様に、社交もまたアリアでも口ずさみながら選別すべきでしょう。いや、ローマ人的にはレスピーギの“ローマの松”第4部のアッピア街道の松を聞きながら、にしましょうか。
まず、こういう悪趣味かつ不謹慎な喩えを平気で持ち出す品性下劣な人間との付き合いは避けるべきですね(力説)。
皆様も気をつけて下さい。

セネカ先生やショーペンハウアー先生が繰り返し記されている様に時間は限られているのだから、無用の社交にそれを費やし、行動を拘束され、気を遣い疲弊するなど人生の浪費です。お二人は社交そのものの不毛さにまで言及されていましたが。

パーティーや会合や見栄や体面や体裁を取り繕う為の人間関係や予定に縛られている人は、手綱を握ったまま二輪戦車から転げ落ち、延々と暴れ馬に引き摺られていく馭者の様に見えます。あるいは孤独を恐れるあまり手綱を放す事が出来ないのか。自己と自分の人生を支配するのではなく、必要以上に周囲の環境や諸条件の奴隷に堕しているのではないかと。

私はそういう人々の仲間になるのが嫌で、つまらぬ飲み会や集まりの事を考えるだけでうんざりします。仕事の付き合いのゴルフなどその空虚さを思うだけで蕁麻疹が出そうですし、強要されようものならコース上でしめやかに爆発四散してやりたいくらいの拒絶反応を起こします。仮にこの世にそうした社交しか存在しないのなら死ぬまで一人で構いません。

ぼっち最高です。比企谷八幡氏もそう言ってました。そういや彼は“本物”が欲しい、と吐露してましたね。
世には薄ら寒い“偽物”が蔓延りすぎのように思います。それどころか“大人”はそれを有難がるふりをしなければならないというのだから、まさに集団的狂気という奴ではないのかと。

対話の為の人との集まりや飲み会は2~6人くらいが限界だと思います。あまり大人数となると、もはやその内容は上辺だけの挨拶や紹介に終始し、何もかも表面的なものになるように思えてなりません。クラス替えをした後の自己紹介の様な。

そこでの会話はカルピスやウイスキーを水割りする様に、量(人数)を増やそうとするほど、薄く無意味なものになっていくでしょう。あるいは低俗な政治・社会討論番組において、ただ喚き騒いでいるだけで何一つ意義のある考えは導き出されない様に。

顔を売りたいとか、人脈を広げたいとか、影響力を誇示したいだとか、一体感や共通認識を確かめ合いたいとか、猿のマウンティングめいた地位の確認などの“政治的”“商業的”理由であれば大人数の催しも幾許かの意味を持つのかもしれませんが、そもそもそうした事にあまり喜びを見いだせない私には無用の長物であり、苦痛の種でしかありません。

それゆえ何よりも大切なことは、羊の群のように、先を行く群の後についていくような真似はしないことである。そんなことでは、進むべき道を歩んでいくことにはならず、単に誰もが進んでいく道を歩むに過ぎない。
――セネカ 幸福な人生について、より


幾人かで腹を割って話したり、飲んだり、どこかへ旅するのは好きですが、意味も無く群れて、互いに依存する関係は私には無理であり無用です。

食堂で一人で飯が食えないとか、一人で飲食店に入れないなどという輩が少なからずいるそうですが、一人孤独である事は世間一般で言われているほど憐れな事ではないし、何も恥じる必要はなく、むしろ内容の乏しい群れで寂しさを紛らわせる為に時を費やすよりは、よほど豊かな事ではないかと、そう思うのです。
少なくともその人には優先すべき思索や目的や、付き合うに足る価値のある人を選ぶ目があったという事なのですから。
いや、誰にも相手にされない、どうしようもない人物であるという可能性もありますけど……私か……。

しかし孤独に適応できず、見栄や虚栄心という2頭の暴れ馬に支配されて、興味の無い人々と歩むのと、果たしてどちらが善いでしょうか。無論、面白い人と出会い、時間を共有するのは例えようの無い素晴らしい事です。
そうではない人々と何か価値ある事をしているかの様に演じる事は例えようも無く虚しい事です。

もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、
あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。

しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば
国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。

愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独(ひとり)で歩め。
悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。林の中にいる象のように。
――法句経 第二十三章  象 328-330


映画イノセンスで引用されたのは最後の行だけでしたけど、重要なのはその前文だと思います。善き人と出会えば共に歩めば良い。いなければ無理して付き合う必要は無い。悪しき道連れに染まるくらいなら一人歩めば良い。

ただ、社畜の私は公的な時間は相手を選べないのですよね……相手も私の様な奴など願い下げでしょうけれど。
まさに環境と条件に支配された奴隷だ……。めんどい。こういうアレルギー反応が出るレベルの壊滅的に非社交的な奴は公の社会や社交から早々に立ち去るべきなのでしょう。社会や組織にとっても私にとっても互いに苦痛と不快を生むだけで何ら益するところが無さそうです。手持ちの戦力が限定的ならば(コミュニケーション能力が不足しているなら)肥大した戦線は縮小すべきだし、無用の戦場からは撤退、退去したい、そうしよう。ただ行動あるのみ。

すべて社交界というものはまず第一に必然的に、人間が互いに順応しあい抑制しあうことを欲求する。全く自分自身のあり方に生きていて差し支えないのは、独りでいる間だけである。だから孤独を愛さない者は自由をも愛さない者と言うべきだ。というのは、人は独りでいる間だけが自由だからである

人間が社交的になるのは、孤独に耐えられず、孤独のなかで自分自身に耐えられないからである。内面の空虚と倦怠とに駆られるためである。

社交界では、われわれはほかの人たちと似たり寄ったりの人間になるために、大いに自己を否認し、自己の四分の三を捨てなければならない。

人間は終始一貫、他人の意見、他人の思惑の奴隷となっている。

人の社交性はその人の知性的な価値にほぼ反比例している。
――ショーペンハウアー 概ねその著“幸福について”より

https://twitter.com/schopenhauer0

なかなか辛辣ですけど……いや、本文に用いられる言葉はもっと直球で酷い。良く研ぎ澄まされた短剣の様に突き刺さる。低級とか俗物とか愚鈍とか不明なりし者をフルボッコ。そもそもショーペンハウアー先生に中途半端な慈悲を期待するのが間違いですね。いや、半端な慈悲は害悪ですらあるとは思いますが。

要点を分かり易く表現してくれる人です。古代の哲学は何となく言わんとしている事は分かるのですが、現代に近づくにつれて難解となり、専門用語が連なって、私の知能では理解するのは困難ではないかという印象が……たぶん、翻訳などにも問題がありそうですが。その中にあっても文才に恵まれたショーペンハウアー先生は文章が分かり易い。
その比喩表現や皮肉も流麗で難しい事を平易かつ楽しく、飲みこみ易くなるよう工夫されています。

自己の重点を迂闊にも外部に依存し過ぎるものは、常に周囲に振り回され、心休まる事は無い、と。
身の内を富ませれば、忙しなく人と交わる必要も無く、心静かに豊かに過ごせるのではなかろうか、という事でしょう。

ショーペンハウアー、セネカ。
時代の隔たる両者ではありますが、見るに人間の営みと苦悩の本質というものは全く変わる事が無いようです。
おそらくあと2,000年経っても同じことを主張する人間がいる事でしょう。そこに人間がいるならですけど。
表層と技術は進歩しているけれど、一皮剥けばどれほどの差があるのか。


・楽しき時間

斯様に社交を忌み嫌う私ではありますが、楽しい会というのもたまにはあります。
遠路遥々帝都に来られたMoff Taka氏とマルコマンニ戦争の話をしながらイタリア料理をつついたり、蒸気機関を手にしたという仮定のローマ帝国の話をしたり。お疲れのところ私の内なるバッコスにつき合わせてしまい、すみませんでした。いつもの調子でワインのボトルをほいほい追加注文しようとした時の「まだ、やるつもりか」という味のある表情が記憶に焼きついています。1本飲むと血の巡りが良くなってようやく身体が動き始めるのです。アル中か……。

煙草、もちろん人がいないところで好きな様に吸うのは個人の自由だとは思うのですが、服に不快な臭いが染み付くし、食事の匂いを駄目にするし、味覚を鈍らせる様に思えるので、昼休みに定食屋で隣の人が一服始めようものなら属州ヒスパニアの銀鉱山送りにしてやりたくなるくらい嫌いなのです。が、葉巻は好きなようです。
シガーバーというのに初めて連れて行って頂きありがとうございました。酒を飲みながら、風味ある葉巻を燻らせるのは素晴らしい時間でありました。また一つ悪い遊びを覚えてしまいました。

こうして見るに、やはり私は関心のあることのために行動している時は楽しいようです。
そうでない時はまるで死人です。極端過ぎるのでしょうけれど。
善き時間をありがとうございました。またお越しの際はどこぞで飲みましょう。


・映画
 
 エクソダス
 http://www.foxmovies-jp.com/exodus/
 モーセの映画ですね。楽しそう。

 ヘラクレス
 http://www.hercules-movie.jp/
 同時期にヘラクレスの映画が二つあるのですが、ドウェイン・ジョンソンの方が突き抜けていて良さそう。

 オール・ユー・ニード・イズ・キル
 http://wwws.warnerbros.co.jp/edgeoftomorrow/
 レンタルで。覚えゲーの難度のFPSをプレイしているような映画でした。

 もうひとりのシェイクスピア
 http://www.youtube.com/watch?v=pQbZhepAMjM
 これもレンタル。シェイクスピア別人説を描いた映画。16世紀末の情景が素晴らしい。


・お絵描き

手のひらクルーテオ卿……。

憎き侵略者、傲慢なる支配者、強欲で恥知らずの鬼畜ローマ人を撃滅せんが為、今まさに勇壮なる歩武を以てダキアの大地を進まんとするデケバルス王とつはもの達を描いております。
いざ来いローマ軍、トラヤヌス、出てくりゃ地獄に逆落とし♪(メロディーは比島決戦の歌参照)
ダキア人の出征

騎乗するデケバルス王にはサルマタイ、ロクソラニ(ダキア人に騎兵を提供した)の騎兵が着ていた鱗状の鎧とダキア人の兜(フリュギア型)を。他の歩兵には同様の甲冑や鎖帷子と槍、投槍、ファルクス(鎌状の剣)などを装備させております。
実際はこんな高級な装備の戦士は少数でもっと軽装の戦士が多かったでしょう。半裸とか、兜もなくて帽子だけとか。

画面手前で別れを惜しんでいる家族はその装備から下層の戦士ではなく比較的裕福な地方の貴族とか戦士といったところでしょうか。父、叔父、母、従兄弟、子供達、そんな感じで。

戦争が始まれば当然人が死ぬ訳で、それら一人一人は容易く分類出来る様な無個性な人間ではなく、それぞれ人生があり、喜びや悲哀があって、当然係累もいる訳で。当たり前の事ですが。少なからぬ漫画やら映画やらの戦争という状況や武器や兵器の取り扱いはどうにもその辺の認識が鴻毛が如く軽いか、意図的にぼかされている様に思います。いや、戦時の命が鴻毛の様に軽いというのはある意味、的を射ているのでしょうけれど。

しかしスポーツや競技という設定ならまだしも剣やら弓やらを携えているというのに何やらずっと緊張感がなかったり。
あるいは敵対勢力を人間ならざる者(怪物やら何やら)に設定して罪悪感を払拭しようとしたり。敵を非人間的なものとして描くという手法は確かに現実の戦史・歴史において珍しくも無い事ではありますが。ギリシア・ローマが外部の者を“蛮族”と呼び、かつての米英が日本人を邪悪な猿として戯画化し、国民の戦意を煽った様に。鬼畜米英という単語もその一環でしょう。敵をひと塊の悪しき者と単純に定義した方が躊躇いなく憎み、殺せるでしょうから。

娯楽にそういう突っ込みを入れても仕方がないのかもしれませんけど。悲壮感漂うものばかりでは息がつまりそうですし。
我ながら面倒臭い奴ですね。こうして数年を経てもそのままの奴が鬱陶しく面倒臭い中年と化すのでしょうな。
齢32となりましたが、既にそんな感じではありますね。

未成熟な精神と半端な頑迷さ、生半可な執着、なるほど救い難し。
何一つ積み重ねる事無く、徒に年だけを重ねる我が身の何と無様で醜悪な事か!

 今回はこの辺で。また次回。
 
 デケバルス王との盟約に従い戦列に集いし全ての部族とその戦士達にザルモクシスの栄光あれ!
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軍団兵履歴

Legionarius

Author:Legionarius
主に世界史・戦史(東西問わず)の絵を描いております。

形式:Legionarius
状態:製造年月日から30年以上経過
使用燃料:Laphroaig,Bowmore,
Ballantine(12年が好ましいが財布が薄いのでfinest)
エンジン形式:惰性型酒冷4ストロークバルブ108気筒
始動形式:諦念あるいは深い溜息
搭乗機:CBR600RR07白→CBR1000RR2012に機種転換(乗り手に過ぎる良い機体ですがハイオクは財政が……)

音楽:(Bill Evans, Miles Davis, Dvořák, Linkin Park, Rammstein, Killswitch Engage, Enigma外)気に入れば何でも。

書物:ノンフィクション、歴史(ローマ史、古代ギリシャ,WW2外)、SF(ホーガン、ハインライン外)、最近はOsprey社の本ばかり。主にマクブライド先生のやつばかり。

漫画:(大陸軍は世界最強とかアララララーイとか)雑食。

ゲーム:ROME TOTAL WAR、MEDIEVAL TOTAL WAR
     CALL OF DUTY、S.T.A.L.K.E.R、SILENT HUNTER外

好きな陛下:Marcus Aurelius Antoninus、Flavius Claudius Julianus
好きな甲冑:ロリカ・セグメンタータ
好きなヴァンツァー:フロスト
好きなマクナブ:受領通知!!、カチカチ、カチカチ、続刊はいつですか。
以下、好きなギボン、サトクリフ、パウルカレル、スティーブンハンター、フォーサイス、ルカレ、エルロイなどと八万行に渡って続くので割愛。

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