さぁ飲もう、死は避けられないのだから


さぁ飲もう、死は避けられないのだから。
Bibamus, moriendum est.――セネカ

 大小どっちのセネカなんだろう…。

 セネカ先生がそう仰るなら仕方が無い。飲まざるを得ない。休肝日にしようと思ったのに仕方が無いなぁ、本当に…。嬉しそうにバランタインのキャップを捻りつつ…。


 こんばんは、今週は酒を買えたので上機嫌です。毎回、酒の話から始まったり、酒の有無で機嫌が変わるとか人としてかなり残念な有様ですが、いつも通りです。特に問題も無く静かに暮らしております。気まぐれなる神々がそのままでいてくれると良いですが…皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

・漫画や書物

 ナポレオン獅子の時代が新章になってる…それからハルシオンランチの2巻が出てる、と思ったら完結しとる…。物凄く読みたいけれど、こっちにはまず無いでしょうな。

 サトクリフの「山羊座の腕輪」をゆっくり読んでおります。ローマ帝国第六軍団ウィクトリクス所属の主席百人隊長ルキウス・カルプルニウス(本書ではルシウス)が戦功の褒賞として与えられた腕輪をめぐってロンディニウム陥落からハドリアヌス防壁建設、帝国の属州ブリタンニア撤退まで、ローマのブリタンニア統治の歴史と平行してカルプルニウス一族の歴史と人生を追うというなかなかマニアックな物語です。この方の作品の多くはブリタンニアが舞台ですが、相変わらずその時代の光景や匂い、音が脳裏に浮かぶような、絵を描きたくなる様な文章で堪りません。軍団兵必読の書です。

 それから随分前に古本で発見して手に入れたタキトゥスの同時代史を読んでおります。こちらはローマ帝国の歴史において四皇帝の時代と呼ばれる紀元68年から70年頃の僅か3年ほどの期間でガルバ、オト、ウィテリウス、ウェスパシアヌスと皇帝がめまぐるしく変わった内戦時代を記録した、その時代を生きた人間の残した歴史書です。登場人物はどいつもこいつもろくでなしや食えない輩ばかりで、良い味が出ています。

 例えば、マルクス・アントニウス・プリムスなど”行動においては勇敢、演説は雄弁、他者を憎悪にかき立てるのには巧みで、内乱、反乱の時代には隆盛で、強欲で浪費家、平和な時代には悪しき市民であり、戦争の時には軽んずる事のできぬ朋友”とタキトゥス先生がコメントしており、敵に回しても味方にしても厄介極まりないと言う…出てくる人は皆こんな人ばかりです。それと各軍団や支援軍の配置はもちろん地域ごとの性格や性質、戦力評価など事細かに記されており軍団兵諸氏は必読です。またそれか…。絶版のようなので古本屋で見かけたら是非。

・会議は踊る、されど進まず

 政治家は国を治めるのが仕事であって、失政で咎められるのはまだしも発言一つで就任早々辞める、というのはあまりにちまちましすぎているような気が…。
 小学校の反省会ならそういう事に時間を割くのも有意義かもしれませんけど。1億3千万の国民に対して責任を持つ国家の首脳を入れ替えるに値する題目なのか、と。時間と費用の莫大な浪費に思えます。道徳的にどんな輩であろうと、たとえば何人妾がいようと変態趣味の持ち主だろうと、それが公にご迷惑をおかけしない範囲のもので、しっかり政をやってくれればそんな些細なことはどうでもいい、と思うのですが、お行儀も良くないとならんのですね。建前と見かけが重要なのは分かりますけど。いや、あの発言は風評被害とかいうやつに抵触するのでしたっけ。
 もっとも幼稚園か小学生レベルの失言をする様な人が国政を担えるとは思えない、と言われればまったく同意ですけれど。ただ、かつてのミッテラン大統領と政務、その私生活と家族、それに対するフランスのマスコミの対応と現在の日本のマスコミの反応などを比べるともう少し長期的な視野で行動できないのか、と思わずにいられません。
 互いに足を引っ張って、混乱と停滞に拍車をかけ、どこまでも落ちていくのは行く末に破滅が待つだけで、物凄く非合理的な戦略だと思うのですが、そういうのがお好きな被虐趣味の方が多いのでしょうかね。あるいはそうやって落としどころを探るのが伝統なのかもしれませんが。
 とはいえそういった嘆かわしい状況を生み出しているのは国家主権者にして視聴者・読者である国民の質に左右されるのだから、眼前に現出した茶番じみた愚かしい騒動も、残念極まる刊行物やTV番組なども、それに相応しいものが形をなしたに過ぎないと言えるのかもしれません。

 さて、阿呆な漫画でも読みつつ酒を煽って寝るか…清清しいまでに台無し。

・嗚呼、ポンペイよ永遠なれ!

 毎度毎度、戦の匂いがする絵ばかり描いているのも如何なものか、と我が脳内倫理評議会(まさか、そんなものがあったとは、今まで眠っていたに相違あるまい)が意見を提出したので、平和な絵でも描いてみることにしました。

復元前
ポンペイ復元前


下書き
復元後下書き

 
 旅で撮ったポンペイの交差点の写真とアッボンダンツァ通りの資料などを元に紀元1世紀中頃の姿を勝手に復元中です。とはいえ、大変残念な事に地図を確認しながら歩くのを失念したため、この場所の正確な位置や施設の内容、地区の性質などは正確性を欠いております。さらにほぞ穴などをあまり考慮せず適当にやっているので、いつも通り資料的価値は皆無です。

・軍団兵イタリアを行く。第3回 マテーラ、アルベロベッロ、カプリ

 さて、前回に引き続き帝国本土をめぐる旅その3であります。
 今回はイタリア南部、マテーラ、アルベロベッロ、カプリ島と不思議な景観を見せてくれる地域を周ってみましょう。

 マテーラ

 南イタリアの都市。
サッシ遠景①
サッシ市街

 サッシと呼ばれる洞窟住居が独特の町並みを見せてくれます。いつごろ作られたかは不明だそうですが中世にはイスラム教徒から逃れた東方の聖職者が130以上の洞窟住居に住み、現在もビザンツ様式の壁画などにその名残をとどめています。
 最近まで放置されていたそうで、インフラ整備もされず、神に見放された地のような扱いだったとか。メル・ギブソンのパッションというジーザス・クライスト師匠悶絶映画(もっとマシな説明をしろよ)のロケが行われたそうです。もう一回見たら風景を思い出して面白いかもしれません。スターウォーズの辺境惑星の住宅地みたいな雰囲気です。もっとこう文学的な格調高いイメージで表現したいのですが、データベースに無いので無理です。
 その辺の家からいつ賞金首を追いかけるマンダロリアン・ショックトルーパーが飛び出してきてもよいように身構えていたのですが、出てきませんでした。残念…。
サッシの眺め②

サッシの町並み

 外からだとどこからどこまでが一つの家なのか良く分からず、白い構造体が斜面を覆うようにひたすら連結しております。同じように見えて庭や門構えなどに個性があり、写真を撮りまくっておりました。ちょっと住んでみたいですが、車が入れるような道路があまり無い上に階段やら狭い道だらけで、買い物に行くのも一苦労だと思います。電気とかガスとか水道はどうなってんでしょうね…?工事が大変そうです。
サッシの眺め
サッシの町並み③

 日が傾くにつれて町の色も移り変わっていく様が実に趣深いです。
サッシの町並み②

 プロセッコと言うスパークリングワインを飲んだら宿へ。
すぐ酒に走る男…。

 おまけの防御塔 丘の上、風にそよぐ枯れ草、堅固な建築物…嗚呼、格好良すぎる。

おまけの防御塔


 アルベロベッロ

アルベロベッロ市街
トルッロのある町並み

 トゥルリあるいはトルッロなどと呼ばれる家が沢山建っております。珍妙な構造で、円錐状の屋根を持つのが一軒の家ではなく、一つの部屋でそれらが連結して家をなしているようです。それぞれの部屋は壁で仕切られておらず、カーテンなどで繋がっています。こういう特異な構造に至った原因は諸説あるそうですが、15世紀末当時の領主アクアヴィーバ伯爵の節税対策に由来するようで、彼はナポリ王に家の軒数により税金を納めていたそうですが、それを減額する為、領民の家の屋根をしばしば破壊するというご無体な対策を行い、さらにそれへの対策として領民たちが考え出したのだとか。組み立てやすい為か、あるいは軒数申告を圧縮できる為か。
 石灰の白壁は断熱、保温、照明効果、紫外線対策などの効果があるそうで、丸い形状は強度計算上の都合だそうです。ガイドの話によると一棟で一千万円ほどだとか。
これは良い蔦ですね

 絵本の中に迷い込んだようでなかなか綺麗で面白いところでしたが、少し単調な気も…。

 屋根の飾りは様々、魔よけだとか目印も。
屋根の飾り①
屋根の飾り②
各家の印


 カプリ島

 ナポリ港から船で30分くらい。
 カプリ遠景
港湾①
港湾②

 ローマ帝国史上最強の引き篭もりとして有名なティベリウス帝(勝手に妙な称号を…断崖から投げ落とされるぞ…)の別荘や青の洞窟で知られるカプリ島、この日は時間の都合で別荘には行けず、また波が高いために洞窟には入れず、と残念なことになりましたが、島の周りを巡る遊覧船に乗る事が出来ました。マリーナ・グランデとマリーナ・ピッコラの大小二つの港があるそうで、今回は大きい方に到着。早速遊覧船で島の周囲を周ることに。とにかく海が青く島は白く輝き、二色の色彩が鮮やかな島です。ところどころの岩場の隙間などで青い洞窟をイメージさせる光景を見る事が出来ました。
  
 石灰質の岩に反射しているからか青く透けております。
青い海①
青い海②
青い海③

 皇帝は島内にいくつも別荘を持っていたそうですがこの辺も別荘です。断崖絶壁の別荘に引き篭もり、良いですね。こんな所に引き篭もってても帝国を支配できるとは、さすが陛下。かくありたいものよ。
断崖絶壁

 中世の監視塔
中世の監視塔

 港の喧騒と潮風を堪能しつつ、またもピザを。ピザ野郎になっちまうぞ!
港でピザ

 腹ごしらえをしたら船に乗り再びナポリへ。旅を続けることにしましょう。

 次回、軍団兵イタリアを行く、第4回”ポンペイ”はネロ帝ソロライブ生中継により延期となりました。何卒ご了承下さい…。いや、ちゃんとやります。良ければ見てやってください。
 
 

 今回はこの辺でお開きと言うことで。
 ポンペイの復元が完了したらお会いしましょう。

 ローマ帝国市民の皆様に良き一週間があらんことを!

 
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世界中でドイツ降下猟兵以外には

世界中でドイツ降下猟兵以外にはあのような試練に耐え抜き、その後であのように勇猛果敢な戦いを行う兵士はいないであろう――ハロルド・アレクサンダー陸軍元帥

 イギリス人は本当に敵を褒めるのが好きですね…。チャーチル閣下しかり。その裏にあるのは、褒めれば褒めるほど婉曲的にその敵に勝利した自分達の功績の輝きが増すって事でしょうかね…。


 こんばんは、初っ端からいつも通り穿ったものの見方を露呈しておりますが、今日がまだ水曜だから、ってことと今週は仕事の都合で免税店に行けず…ウィスキーやワインが買えなかったからです。アルコール度40%を超えてくれないと調子が出ないのです。某福音人造人間で言うところのシンクロ率みたいなやつです。えぇ。


・真っ白なシーツ、美しい女たち

 紅の豚のポルコの台詞ですな…。あれはアドリア海の話でしたけれど。
 青く輝く海と空、眩い白壁。
 今回の旅行記はまさにそんな世界でございます。

 モンテ・カッシーノ
 
 南部への道中に戦史を嗜む者なら興味をそそられずにはいられない場所を通りました。通りすがりだったのでちらっとしか写真に写ってないですけど。
モンテ・カッシーノ

 山の上の修道院で知られるモンテ・カッシーノです。もともとは多神教の神殿があったそうですが、のちにぶっ壊され、“祈り、そして働け”という禁欲的なスタイルで知られるヴェネディクト会の修道院になったそうです。
 周囲を見下ろす戦略上重要な位置にある為、歴史的に何度も酷い目にあっており、ランゴバルド族に破壊され、サラセン人に燃やされ、ナポレオンにぶっ壊されたかと思ったら、WW2の連合軍の爆撃を喰らって灰燼に帰しました。とくに最後に挙げた二次大戦時に発生した戦い、モンテ・カッシーノの戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 によってこの地が世界的に有名になったのです。。
 何故この修道院がそこまで執拗な破壊を受けたかと申しますと、1943年9月にイタリア南部のサレルノ、タラントへの上陸を果たし、ローマを目指して北上していた連合軍に立ちはだかったのが、その途上にあるこの山だったのです。
 1944年当時、この付近にはドイツ軍の中でも精鋭で知られ、“緑の悪魔”の異名をとる降下猟兵(ここに配備されたのはポーランド、北欧、フランス、ギリシア、クレタ、そして東部戦線、さらにシチリアと凄まじい戦歴を刻んだまさに百戦錬磨の第一降下猟兵師団http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E9%99%8D%E4%B8%8B%E7%8C%9F%E5%85%B5%E5%B8%AB%E5%9B%A3でした)を含む枢軸軍8万人が陣取っておりました。
 実際は爆撃を受けるまで修道院自体にそもそもドイツ軍はいなかったそうですが、見晴らしの良い高台にある建造物は敵の行動を観測するのにうってつけであると考えた連合軍により修道院は瓦礫の山となりました。しかしながら、その瓦礫が降下猟兵にうってつけの陣地を提供したわけですが…。スターリングラードと同じですね。
 1月に始まった戦闘はその後も続き、最終的には5月まで、両軍12万人以上の死傷者を出して終結します。日本人にはまったく無関係の戦いのように思えますが、この戦いに参加した米軍には日系人で構成された第100大隊(のちにかの有名な第442連隊に編入)がおり、その複雑な立場(当時米国内の収容所に連行されていた米国在住日系人に対する偏見と差別や、戦功によりアメリカ人として認めてもらわなければならないという事情など)から壮絶な戦いを繰り広げ、大活躍するも甚大な損害を出しております。2010年にオバマ大統領から議会名誉黄金勲章を授与され、死傷率314%(編成人員3,800名、のべ死傷者は9,486人)という恐るべき犠牲を払ってアメリカ市民としてのアイデンティティーを確立し、米軍史上最も多くの勲章を受けた第442連隊および第100大隊についてはこちらの方が詳しいので是非。こんなに頑張ったのに1960年代の公民権運動の勃興する時代まで扱いに大きな差がなかったとか…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3
 そんなわけで、南部イタリアへの道中休憩で立ち寄っただけの場所ですが、この山を実際に見る事が出来て非常に感慨深いものを覚えました。ローマでもそうでしたが、眼前にすると圧倒されるものがあります。


 ナポリ 
 
 “ナポリを見てから死ね”という言葉で有名ですが、近年のゴミ処理問題とカモッラ(犯罪組織)のせいで”ナポリが死ぬ前に見ておけ“とか”ナポリを見ると死ぬ“などと揶揄される南部の都市ナポリ、語源はギリシア人の植民市だった当時につけられたギリシア語のネアポリスだそうです。新しいポリス、ニューシティーとか日本だと新町みたいな意味でつけたようで。
 その後の帰属勢力の歴史的経緯を辿るとローマの覇権下を経て、ローマ帝国滅亡後はゴートやらランゴバルドやらの支配を受け、ビザンツ帝国の再征服時代に属州に、その後はノルマン人、神聖ローマ帝国、フランス、スペインと、もはやイタリアの都市国家の歴史を紐解けば毎度おなじみという面々にちょっかいを出されまくると言う大体同じような経過を辿っております。適当な解説だなあ…。
 現代イタリアでは南部は貧しく、北部の人と比べると陽気で愛想は良いけれど、良くも悪くもいい加減な人が暮らしており、北部と南部とでは違う国の人の様に見えることもあるそうで。漫画のガンスリンガーガールの社会情勢はこの辺の国家事情をなぞらえてるようです。豊かな北部の税収が貧しい南部の維持に投入されているのではないか、というやつです。
 ただ、総じて飽きっぽい人が多いらしいので、あの漫画ほど心血を注いで社会運動を推進する反政府組織が、長期間保ちうるのか謎です…。治安はあまりよろしくないようで、犯罪組織などを別としてもスリや引ったくりが多いらしくガイドの方が再三に渡り注意しておりました。
ナポリの道
ナポリ、海岸沿いの町並み

 住宅街にゴミが落ちているところもありましたが観光客が行くようなところは基本的に清掃してあるようです。町並みは非常に整っており、色彩的にも落ち着いていて眩しい陽光にも映えて風光明媚と呼ぶにふさわしい都市でした。建築基準や色の制限などがあるのでしょうが具体的にどんなものなのか気になりますね。パリのビルの高度制限のようなものもあるのでしょうか。
海を挟んで

 海から眺めた市街地も素晴らしい景観です。バーの店先の席にでも座ってパラソルの下、ワインを傾けピザやハムなどを貪ると最高の気分に浸れることでしょう。
 そんな現代の情勢など当ページ的にはどうでもいい事ですね。

 とりあえず城砦を貼っておきます。
一つ目は卵城、カンツォーネ・ナポリターナ(民謡)で有名なサンタルチア港に突き出した要塞です。
卵城
好物件

 11世紀のノルマン人オートヴィル朝(第1回十字軍やアンティオキア公国とも関係深い国ですね)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E6%9C%9Dが建てたそうです。いやぁ、いい立地条件ですね(住宅見学番組のノリで)。戦術的な意味で。港湾を支配したい新婚夫婦におススメの物件です。何それ…。
 
 こちらは港の前にあるヌォーヴォ城、
ヌォーヴォ城
ウホッ、いい胸壁
堪らない傾斜
アンジュー家により13世紀に建てられ15世紀にアラゴン家が再建したそうです。言われてみれば防御塔の裾や胸壁がハイブリッドな雰囲気やもしれません。スカート状の折込と傾斜が入った独特な防御塔がお気に入りです。一個持ち帰ってそこに住みたいくらいです。具体的に言えば高速回線ひいて引き篭もりたい。またわけのわからないことを…。

 すばらしい城塞に心が洗われたところで、腹を満たしましょう。

 昼食はJOJO風にピッツァ・マルガリータが食べたい、とか抜かしつつ。
JOJO第五部

 ピザ発祥の地としても有名でアラブのパンことピタ→ピッツァという由来があるそうです。
 
 そんなことよりローマ人的には近郊にあるポンペイ遺跡に行かねばならぬ・・・。が、それは南部をもう少し回ってからに致しましょう。

 しばらくいたナポリと立ち寄っただけのモンテ・カッシーノの記事が同じ長さってどういう事よ…。


 一路アマルフィ海岸へ

 エメラルドの洞窟

エメラルドの洞窟へ

碧に輝く海面

 ソレント半島の今にも車が落ちそうな細い断崖の道をどんどん進んで行きましょう。道中、崖に設けられたエレベーターで降りると隠れ家のような洞窟が…水質と太陽光線の反射で洞窟内の水面がエメラルド色に輝く名所、典型的な南部の漁師といった雰囲気の船頭(普段は漁師で洞窟の船頭はシーズンオフの副業らしい)が愛想よく怪しげな日本語で歌を歌ったり、ジョークを言うのでロマンチックな雰囲気とはかけ離れてますが、アマルフィ海岸を訪れたなら一度は見てもいいかもしれません。

 ポジターノ
 
ポジターノ
ポジターノの町並み

 海岸沿いの急峻な地形に築かれた町、青い海、白い壁にパラソル、テラス、そしてビーチと金持ちのヨットやクルーザー…地中海のリゾート地の雰囲気を絵で描いた様な町です。車窓からバーやレストランを眺めていると皆昼からワインを飲んでいます。
レストラン

 日差しを浴びて輝く真っ白なテーブルクロスに鮮やかな料理とワイン、やはりこれがグローバルスタンダードだったのだ。目が覚めたならばたちどころに飲み始める私の習慣は誤りではなかったのだ!人生とはかくあらねばならぬ、対するに日本の在り様はどうだ、電車では誰しもが不景気な面をさらし、背を丸めて忙しなく日常に追われている、嗚呼なんと嘆かわしい…などと力強くうなずき、イタリア人とその国を訪れる人々に親近感が…。いや、ここは観光地だからこんななんでしょうね、イタリアだって普通の人が暮らしてるところはもっと生活観やら市民の疲弊っぷりやらが充満して日本と大差ないんだ、そうに違いない。そうだと信じたい。そう信じ込みでもしないと馬鹿馬鹿しくてとてもやってられない。
 こういうところで終日ワイン飲んで書物に囲まれてゴロゴロしたい…正午の熱気を拭う微風に揺れる淡いカーテン、窓から差し込む黄白色をした午後の柔らかな日差し、時折のぞく青い海と潮のにおい、趣味の本を腹に乗せ古びた長いすに寝そべり脇机の葡萄酒に手を伸ばす、夕食は何にしよう…そうやって人生を終えたい…。さて、景色を楽しんだら資本と言う名の極めて現実的な理由から実現不可能な夢想に浸るというあまりにも儚い現実逃避をやめて先へ進みましょう。かつての海洋国家アマルフィが我々を待っているのです。織田某が出る映画など知らぬ。


 アマルフィ

 ここもまたお洒落な雰囲気と映画やら何やらで有名ですが、ヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァのような海洋国家でした。断崖にある町、という地形が内陸ではなく海へその住人達を向かわせたそうです。そうせざるをえなかったというわけですね。
 不便な地勢ではあるものの、防衛には優れ、イスラム勢力との戦いや貿易を通じて11世紀に最盛期を迎え、その後はライバルのピサに敗北、ノルマン人の征服などを経て次第に没落していきました。しかしながら、その名残は現在のイタリア海軍の軍艦などの旗にも残っており。良く知られる三色旗の中央に四つの紋章が入った盾が記されていることに現れております。
旗

 四つの紋章はそれぞれ海洋国家であったヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィ、ピサのそれであり、近代海軍設立の経緯、かつては都市国家群だったイタリアと言う国家の成立経緯をも表しているといえましょう。またアマルフィの紋章と聖ヨハネ騎士団の紋章に描かれた十字が同じ形状なのはアマルフィ商人が騎士団設立費用を出資したことに由来し、マルタ十字として知られるそれはアマルフィに起源を持つようです。

アマルフィの大聖堂


 9世紀頃に建設された広場正面にある大聖堂はかつての海洋都市国家の栄華とその実力を実感させるに十分の迫力をもっております。黄金の壁画、青銅の扉、官能的な曲線を描くアーチと列柱。明らかに東方の影響を受けたと思しき建築やビザンツ風の装飾など東西混交の建築様式は地中海交易で一大勢力を誇った当時の貿易相手をそれぞれ思い起こさせ、色々と想像力をかきたてられます。
 
アマルフィ中央通
渋い路地

 NHKの世界ふれあい町歩き風にこの手の町をうろつきたかった(私の様な輩の場合、正確には世界ふれあわない町歩きと表現すべきですが)のでメインストリートから外れ、細い路地裏に。
 世界ふれあわない町歩き②
世界ふれあわない町歩き

 迷路のような地区や、洞穴のような通路など歩いているだけで楽しいところです。段差や狭くて急な階段など高齢者には優しくないような気がしますが、こういうところに住んでいれば足腰が鍛えられてむしろ健康にはいいかもしれません。

 レモンのシャーベット(2ユーロ)を貪りつつカフェの前で一休み。たまにはアルコールの入ってないやつもいいですね。爽やかで!
たまにはノンアルコール
アマルフィ正面からの眺め

 こういう町を歩いているとドブロブニクやチンクエ・テッレにも行ってみたくなります。さて、食べ終えましたら桟橋を進み、町の全景を堪能して、さらに南下しましょう。

 次回、IRBC(ローマ帝国放送協会)“軍団兵イタリアを行く”(いつからそんな微妙に流行ってなさそうな俳優がゲストとして出てきそうな紀行番組に…)第3回は、マテーラの岩山を刳り貫いて建設された迷宮のような町サッシ、とファンタジーや童話の絵本から飛び出した様な不思議な外見をした家々が立ち並ぶ町、アルベロベッロに参りましょう。


・絵

 こんな感じですかね。もっとこう共産圏臭漂う感じにしようかな、と思ってたら普通になってしまいました。

属州野郎A(アウクシリア)チーム


 以下pixivより

ローマ帝国からのお知らせ②

 …仮に私の生涯が兵隊で終わっても、息子や孫は生まれた時からローマ市民だ。立派な役人や金持ちになる可能性もある。軍団長も夢ではない。それこそ上等というものだろう。
――シリア人弓兵将校より妻への木簡、リメスより出土

――という法螺

――ローマ市民権をご希望の忠勇無比なる属州民の皆様、お待たせ致しました!此度のダキア御親征にあたり、アウクシリア新設が決定されました。よってここに帝国防衛及び属州獲得作戦への志願兵を募集致します。
 主な勤務地は両ゲルマニア、ダキア、シリア。募集兵科は歩兵、騎兵、弓兵、投石兵。ほか将校、技師、軍医、主計等も若干名募集致します。
 年間給与1,000セステルティウス以上、勤務年数25年。退職金、ローマ市民権授与制度(幹部職員には除隊前の授与も!)有。腕自慢の貴方、帝国に仇なす蛮族を地平線の彼方まで駆逐してみませんか。もちろん未経験の方も大歓迎!
 皆様のご応募をお待ちしております。

 先月満期除隊し市民権を取得されたAさんから喜びの声が。
――Aさん「志願したら毎食事欠かない上に属州税免除ってのも嬉しかったですが、市民権を取得した途端、宝くじが当たり、身長が伸びて、髪はフサフサ、嫁が来た上に、仕事は奴隷任せ、今はガリアの農場で悠々自適、最高の毎日です! 」

――そんな詐欺臭い募集はしてないと思いますが。市民権を持たぬローマ帝国構成員でも極めて重要な存在だったのがローマに支配された各属州の人々でした。
 彼らには安全保障費とも言える属州税の納付義務や選挙権、裁判権、正規軍団への志願等諸権利に制限がありましたが、補助軍に入隊し、満期除隊した際には世襲の市民権が与えられました。これにより帝国は正規軍団(ハドリアヌス帝統治下28個軍団16万人)と同数以上の戦力(同時代22万人)を獲得する事で1世紀~4世紀に至るまで常時30万~40万人の兵力を維持し、多彩な兵科と戦術を駆使する事が出来ました。同時に本土、属州出身を問わぬ流動的かつ膨大な人的資源を背景とした強固な社会基盤を築き、人々の帝国への帰属意識を喚起する事にも成功したのです。
――投石は原始的ではありますが、バレアレス諸島の熟練投石兵が投石紐で投じる鋭く小さな鉛の弾丸は、しばしば弓の射程を凌駕し、肉を穿ち、骨や甲冑を砕く致命的な威力で恐れられていました。
――次回!属州野郎A(アウクシリア)チーム第12話「サルミゼゲトゥサ潜入」


以上

 特攻野郎Aチームとか20代後半以降の方じゃないとわからなそうですね。幼稚園だか小学校低学年だかの頃、毎回コングのメカを楽しみにしてました。
 
 ダキアでならした俺達補助軍兵士は濡れ衣を着せられ、当局に逮捕されたが収容先の銀鉱山を脱出し、地下に潜った。しかし地下でくすぶってるような俺達じゃあない。筋さえ通れば金次第でなんでもやってのける命知らず。不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する俺達、属州野郎Aチーム。以下略

 で、メンバーの自己紹介と例の素敵なテーマBGMが!
 だからわかんねぇって…。 

 アウクシリアについては英語版wikiのほうが充実してますね。年代ごとの説明はもちろん、部隊の配置、出身など仔細に渡っていて素晴らしい出来だと思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/Auxiliaries_(Roman_military)

 市民権を得るためにに命をかけるってのは先述の日系人米陸軍歩兵部隊に少し似てますね。境遇は大分異なりますが。こういった状況をアントニヌス勅令
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%8C%E3%82%B9%E5%8B%85%E4%BB%A4
 のあとに帝国に起こったことなどと引き比べて見てみると非常に興味深いですね。同じ権利でも何の努力もせずとも生来与えられているもの、と個々人が時には一生をかけて危険に命すら晒して手にするのではその価値の実感は大きく変わってしまうのではなかろうかと。

 投石兵を描くのは初めてでしたかね、持っている帯状のものに石や鉛の弾丸を挟み、丸い固定具で片方を指で固定し、遠心力に任せグルグルと回転させ、頃合を見て固定されていない片方の紐を離すと弾丸が飛んでいくと言う極めて原始的な武器の使い手です。それだけに熟練は困難でバレアレス諸島出身の投石兵は古来より傭兵としてギリシアなどでも活躍しておりました。トゥキディデスの書物などにもかのスパルタ重装歩兵を撃退する記述が見られ、その威力のほどは広く知られておりました。
 同様に弓兵はシリアやクレタなど優秀な射手のいる地方から募兵され、帝国各地で歩兵や騎兵の支援と言う重要な地位を占めていました。

 しかしこういうのを調べて思ったのですが、日本古代史の戦術や装備などについて詳しく纏められた書物はないものなんでしょうかね。単純に私が知らないだけかもしれないですけれど。アウクシリアの様に各部隊の編成まで記録されているような資料は日本にあるのでしょうか。実に気になるところです。中世や戦国時代の侍が活躍する以前の時代、物部氏などが勢力を誇っていた頃のようなもっと古い時代の絵を描いてみたいのですが、中西立太氏の日本甲冑史以外にその手の書物をご存知の方がいらっしゃればご教示ください。

 
 今回はこの辺で。
 また、何か描けたらお会いしましょう。
 
 ローマ軍団及び支援軍の戦友諸君が神々の助力と古今に比類なき勝利を得んことを!

全ての人間は秩序を守るために生まれているが、

全ての人間は秩序を守るために生まれているが、
ほんの一握りは秩序を創り上げるために生まれている。
――ジョゼフ・ジューベル

 そして、秩序を乱す者もいる。ってところですかね。


 こんばんは。無事帰還しました。もういっそあっちの人になろうかと思いましたが、早晩金が尽きて不法滞在者になってるところを某公社の人に始末される様が脳裏に浮かんだのでしぶしぶ帰ってきました。これが涙…(CV:林原めぐみ)。色々混ざり過ぎてて訳が分からなくなってますね。
 乱気流でガタガタ飛行機が揺れようがもともと酒で酔っているので関係ないという色々終わってる往復でしたが、イタリアの某社は酒の供給量を少し抑えているのですかね(18、19世紀の軍艦みたいな…)、良い注ぎっぷりだなぁと思っていたら一杯で終わりだったり…。JALは頼めばすぐ持ってきてくれるのに…。初っ端がそんな感想かよ…。いや、飲んで暴れるろくでなしが沢山いるんでしょうな…そういう方はダストシュートから機外に放り出して永遠に大人しくしてもらうのが良いかもしれないですね。酔ってりゃ恐怖も苦痛も少ないでしょうし。そう警告したら酔いも醒めるでしょうし。
 それにしても休日にしては地球をぐるぐる回って忙しない移動っぷりでした。2週間も休んで結局日本にいたのは4日という…。でも帰ってから飲んだ日本酒が美味かったので良しとします。昼間からチェーンの和食レストランで、ダム穴みたいな勢いで日本酒を飲むと言うか、吸い込むと表現すべきか分かりませんがガブガブ投与しながら、遺跡の写真を見つつローマ帝国の話をする変な奴を見かけた方がいらっしゃったらそれはたぶん私だと思うのでそっと忘れてください。

 
 さて、ローマ軍団兵を名乗っておきながら帝国の本土を一度も拝んだ事が無い、というのは正市民ではあるが属州志願で前線基地に張り付きっぱなしということにすれば、ある意味でリアルな設定(設定って…)ですが。
 とうとうカプトゥムンディこと世界の首都に行って来たので少しずつ記録を残して行くことにします。
 と言いますのも、あまりに多くの場所を短期間で見て回って、それでいながら、撮った写真が3,000枚近くに及んでいるので脳みその整理も写真の整理もついていないのです。

周遊


 教科書や歴史書や小説の中にしか見出すことの出来なかった国を、その名残を眼前に。
 かつて地中海を支配した偉大な帝国の遺構が紛れも無い真実を囁きかけるだろう。
 我々は確かに存在し、世界を統べ、そして滅びた、と。


 そんな感じの自分テーマを定め、で色々見て回っておりました。概ね無関心で、冷酷かつ冷笑的で何を見聞きしても皮肉しか思い浮かばない私ではありますが、あまりに壮大で、朽ちてなお荘厳さを漂わせる首都ローマの遺跡の数々、ポンペイの遺跡から思い起こされる当時の人々の暮らしや人生に対する姿勢に思いを馳せ、形容し難い感情がこみ上げ胸が一杯になったり(飲み過ぎてこみ上げるあれじゃないですよ)することもありました。そういうのは久しぶりだったので良い経験だったと思います。同時に普段の生活がいかに自分の性質に不一致で感情やら何やらを大分抑制していないと到底やっていられないものなのだ、と言うことがよく理解できました。まっとうな人間なら我慢できることも自分には眩暈を覚えるほど耐え難いものなのだな、と。自分が笑顔で写ってる写真など久しぶりに見ました…。目が笑ってない奴を除いて。

 さてそんな素晴らしい旅、口を糊する事も、仕事の締め切りも、満員電車も、愚かで空虚で不愉快なつきあいも無い、天国のような時間の過ごし方でしたが、実際に回った場所は以下の通りです。


 ローマ、ナポリ、ポメツィア、アマルフィ、カプリ島、マテーラ、アルベロベッロ、ポンペイ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ヴェローナ、そしてミラノ。

 
 メインの目的であったローマ遺跡も素晴らしかったですが、建設に140年以上かかったサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の威容、500年かかったミラノのドゥオモなど中世以降の建築物も当時の人々の底知れぬ情熱を感じさせ、それらを取り囲む古くから残る市街地の何気ない景観もまた、かつて起こった事件や興隆を繰り返した一族や勢力、都市国家の姿、そこで暮らしていた市井の人々を思い起こさせてくれました。

 さて、どこから行きましょうか。あまりに膨大過ぎて(ローマだけでも十数箇所の遺物を巡ったので)しばらくこれで引っ張れそうですけれど、正直に申し上げて情報量が多過ぎて表現できる気がしない、というのが現在のところの感想です。ハンニバル(カルタゴじゃないほう)で例えるとレクター博士の記憶の宮殿が、片付けの出来ない主婦の家みたいな大変残念な有様になってる感じです。とりあえずダスキン呼ぶ?みたいな…非常に分かり易い例えですよね。強く同意を求めつつ。

 とはいえ折角の経験を共有しないのももったいないので少しずつ行くとしましょう。


・ローマ帝国本土をめぐる旅 その①

 アウレリアヌスの城壁、サン・セバスティアーノ門 
サン・セバスティアーノ門
 
 3世紀の帝国崩壊の危機を回避し、その功績から世界の修復者の称号を元老院から送られた偉大なる皇帝、アウレリアヌス帝が271年に築いた城壁。全長19km、ローマン・コンクリートと煉瓦の構造物です。最近も一部が崩壊して事件になったそうですが今なお防御塔や城壁が随所で当時のままの姿を残しており、その威容にうっとりです。胸壁や矢狭間、丸や四角の防御塔を見ていると興奮のあまり鼻血がでそうになってきますが、旅はまだ始まってもいないので、城壁上で討ち死にする名誉は最後にとっておきましょう。
 カエサルが必要なしとして城壁を撤去するも、帝政後期、ローマがもはや安全な都ではなくなった為に復活した城壁、その城門の一つ、サン・セバスティアーノ門より帝国本土の旅を開始致しましょう。さぁ、門のすぐ外はアッピア街道、全ての道はローマに通じているのです!
 
 アッピア街道 Via Appia

 ローマ人にとっての旅に街道はかかせないものであったはずです。軍団の移動手段にして物資流通、交易の重要な手段、最盛期の総延長29万km、あと9万km頑張れば月まで届きますな…。
 軍事力、組織力、富、帝国を強大なものに至らしめたのは様々な要因が挙げられますが、港湾や道路や水道と言ったインフラ整備を大々的に行ったことも主因の一つと言えましょう。というわけでアッピア街道からこの旅を始める事にしましょう。

千里の道も一歩から


 これは里程石、里程標、一里塚、マイルストーンというやつですね。1ローママイル(およそ1.5km)おきに置かれていました。これはその基点です。ブリタニア、シリア、ギリシア、アフリカ、エジプト、地中海全域に広がる交通網はここから始まったのです。
 
街道の眺め

 この街道は紀元前312年にアッピウス・クラウディウス・カエクスの指導により建設が決まり、最終的には帝都ローマと地中海の要衝ブリンディジを結ぶ750kmもの街道となりました。スパルタクスの乱の参加者が十字架にかけられ街道沿いにどこまでも並べられた事でも有名な道であります。

石畳


 当時はもっとぴっちりと石が敷き詰められていたのでしょうが、今は使い古され丸まっています。幾つもの軍団が行き来し、数え切れぬほどの荷車が北アフリカやエジプトの食料を運んだり(いや、海路からオスティア経由ですかね)、東方の豪奢な品々を運んだのかと思うとうっとりですね。

墓


 街道の両脇には今もローマ人たちの墓が並び、家族の肖像や、碑文が刻まれています。碑文の中には格言めいたものや、人生そのものを嘲笑うかのような皮肉めいたものもあり、なかなか面白いのでそれを解読する旅も楽しそうですね。周囲にはカタコンベが沢山あるそうです。そいつも面白そうですね。
街道の眺め②

墓②
碑文

 近年ローマの市長(知事?)が自転車の交通のために大部分を舗装しなおしたようで、このように古代の路面が露出している部分は少なくなっているそうです。ローマ人としてはもったいないのでやめて欲しいのですが、実用性を重んじる民族性(イタリア人とローマ人の連続性はかなり疑問ですが…実際見てても…)としてはそれもまた正しいのですかね…。私としては2,300年も永らえた道を埋めるのはもったいないんじゃないかと思うのですがね。

 クラウディア水道橋 Aqua Claudia 

 街道沿いをトコトコ進んでいくとやがてローマ人の偉大な建築物の筆頭である水道橋が現れます。地平線の向こうまで続くあまりに巨大な構造物、その石積みの息をのむような完璧さ。

クラウディア水道橋


 クラウディア水道橋ってやつですね。建設開始は紀元38年、距離70km、1日に18万4千立方mの水を首都に運びました。当時のローマは11の水道橋から100万立方mの供給を受けていたそうですが、その五分の一を占める重要施設です。ローマ人の規格では1kmあたり34cmの傾斜と設定されていたそうです。

遥か彼方まで続く水道橋
壮観


 ローマが軍事的支配だけでなく人々に清潔で豊かな生活をもたらしたこと、数々の属州に同様の施設を設け、文明の力というものを見せ付けていたのだということをこれ以上ないほど教えてくれる建築物です。驚くべきことにこれら帝国全土にある水道橋は未だ多くが使用されており、都市に水を供給しております。

 2,000年経ってもしっかり建っており、石がもってかれたり、蛮族に破壊されたりしたところを除けば当時のままの姿で残っております。最近では不法滞在者や犯罪者などが橋の下に小屋を作って住むのが問題になっていたのだとか。

 並行するもう一つの水道橋は埋まってましたが、まだ滾々と水が湧き出ておりました。
 こっちは切断箇所で水道の中を覗くことが出来ます。
水道管の中

水道橋
冷たい水

 こんな壮大な施設を建設するのも凄まじいことですが、それを維持整備しえた国力を想像するだに帝国の強大さがひしひしと感じられます。

 さて、今回の旅はこの辺で。第2回はどこへ行きましょう。


・絵

 アウクシリアの絵の作業を再開しております。こっちはまた次回、で。支援軍は民族色豊かで面白いですね。

補助軍団 下書き


・親密な人間と飲むのは楽しいが、興味を抱かせない人間と親密になる為に飲むのは大抵苦痛だ。

 ひさびさに日本に帰って、一応ということで職場の方々に挨拶くらいはしといたほうがよかろうと土産置いてさっさと消えようと思ったら、案の定捕まってしまい(やはり作戦計画案4023号“土産に手紙付けて事務所のポストにダンクシュート決めて帰宅”を採用すべきでした)、偉い人と昼食&飲み会という例のアレが…。突然、飲酒禁止のイスラームの教えに目覚めてシャハーダしそう(何回目だ)になりましたが、そういう軽々しい振る舞いはムスリムに対して失礼極まりない上に酒が飲めないのは飲めないで苦痛なので我慢しました。わが国の立法府には子供騙しみたいな露骨に胡散臭い法律ばかり作ってないでそろそろ雇用関係および商契約、指揮命令系統にある関連当事者の飲み会禁止基本法の策定(商慣習に接待ががっちり結びついてる日本はばっちり滅びそうですね、HAHAHA。いいなぁそれ)を急いでほしいのですが、今世紀中は無理ですか、そうですか。
 本当にいつも思うのですが、こういうのを好む方々は趣味とか、やりたい事が他にないのですかね…もっと楽しいこと(楽しむ為にやってるんじゃないんだよ、といわれればそれまでですが。本当に大した被虐趣味ですな)なんて探せば幾らでもあると思うのですが、まったく不思議です。参加するたびに脳裏に砂時計が置かれて絵を描いたり、映画を見たり、本を読んだりする貴重な時間がサラサラと無為に流れ落ちていく幻影が浮かぶのですが、これは病的なまでに嫌悪しすぎなのですかね。
 会食の話題ももう少し好奇心をそそられる様な発見や機知に富んだ冗談、建設的な議論、互いの教養や知識を高めるような有難い話があれば良いのですが、せめてそういう啓蒙専制君主のサロンみたいな飲み会だったら…。あぁ、でも礼儀とか面倒くさそうだなぁ…。やっぱり宴には出ない方向で。
 ご招待頂く会の実態は脳の羞恥心や記憶を司る部位に何らかのダメージを負っているのではなかろうかという話題ばかりで、時間の無慈悲な流れと、嗚呼もしや皆さういふ時の過ごし方しか知らぬのであらうか、などと悲哀と憐憫の情(我ながら失礼な奴だなぁ…)を催したり、といういつも通りな具合で。比較的年の近い者とならそういう嫌悪感も薄いのですが、それでもいまいち楽しみ方が分かりません。
 一見楽しんでる様な振る舞いは大分上手になってきたかもしれませんが、目は濁ってる。いつも、その時間に出来るであろうことを意識してしまって面倒臭くてイライラしてるような気がします。なるほど心にゆとりが無いからそういう風に偏狭かつ視野狭窄で極端な心境に陥るのかもしれませんな…というわけで私のように社会的に大変残念な人を見かけたら、ものの考え方が変わるまでそっとして置くのが良いと思います。えぇ是非に。
 コミュニケーション障害というのとは違うみたいですが、なんなんですかね。ただの自分勝手という気もしないでも無いですが、少なくともこれを自分勝手と規定する社会においてはどうやら社会不適合だってことは確定的に明らか(ブロント語は難しい…)。つまり何が言いたいかというと、
 
 アーニャ!ドーンハンマーはいつ使用可能になるんだ!


 グダグダ書いてこんなオチか…。まぁいいか。

 今回はこの辺で。
 また次回気の向くままに帝国を彷徨いつつ、絵の続きでも貼ります。

 コンミリーテス諸君が良き一週間を過ごされますよう。
軍団兵履歴

Legionarius

Author:Legionarius
主に世界史・戦史(東西問わず)の絵を描いております。

形式:Legionarius
状態:製造年月日から30年以上経過
使用燃料:Laphroaig,Bowmore,
Ballantine(12年が好ましいが財布が薄いのでfinest)
エンジン形式:惰性型酒冷4ストロークバルブ108気筒
始動形式:諦念あるいは深い溜息
搭乗機:CBR600RR07白→CBR1000RR2012に機種転換(乗り手に過ぎる良い機体ですがハイオクは財政が……)

音楽:(Bill Evans, Miles Davis, Dvořák, Linkin Park, Rammstein, Killswitch Engage, Enigma外)気に入れば何でも。

書物:ノンフィクション、歴史(ローマ史、古代ギリシャ,WW2外)、SF(ホーガン、ハインライン外)、最近はOsprey社の本ばかり。主にマクブライド先生のやつばかり。

漫画:(大陸軍は世界最強とかアララララーイとか)雑食。

ゲーム:ROME TOTAL WAR、MEDIEVAL TOTAL WAR
     CALL OF DUTY、S.T.A.L.K.E.R、SILENT HUNTER外

好きな陛下:Marcus Aurelius Antoninus、Flavius Claudius Julianus
好きな甲冑:ロリカ・セグメンタータ
好きなヴァンツァー:フロスト
好きなマクナブ:受領通知!!、カチカチ、カチカチ、続刊はいつですか。
以下、好きなギボン、サトクリフ、パウルカレル、スティーブンハンター、フォーサイス、ルカレ、エルロイなどと八万行に渡って続くので割愛。

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